投稿日:2008-05-10 Sat
![]() | チル☆ (講談社文庫 ま 58-1) (2008/03/14) 松井 雪子 商品詳細を見る |
頭のてっぺんを何かがノックした。
「くねり」だ。
くねりを初めて見たときの記憶はない。いつのまにか私の側にいた。青白い顔お黒い尾だけを持っていて、得体が知れない。その名を知ったのがいつだったのか、いったいどうやって話をするようになったのかも思い出せない。(「ハッピーバースデイ」より)
衝動買いして読んでみて、「失敗したかな」と思ったらけっこう気に入って、けっきょく一気読み。
だいたい11年間生きている少女「チル」と、皮肉屋でいじわるで、けれどチルにしか見えない不思議な生き物「くねり」の物語。
日常の中の小さな異界の中でチルが学ぶのは「生きること」「死ぬこと」、「失くすこと」「始めること」。
連作短編。4話収録。
ハッピーバースデイ・・・
今からだいたい11年前の、チルの始まりの話。
「だいたい11年」の意味はここでわかる。
たった8ページだけど、導入部分にしてしんみり余韻の残る話。
生きてく約束・・・
ママヨの母、ババに飼われてる病気の老犬「セミマル」。
そのセミマルが死ぬ予感がして、チルはセミマルをどんな病気でも寿命が延びるという「あさっての滝」まで連れていこうとするのだけれど・・・・・・。
私的には「チル☆」の中で一番好きな話。
願いが苦しみを与えてしまうことになるのなら、わがままな私はどうしてたんだろう。
ともだちの雲・・・
「チルちゃんへ。夏休みのプレゼントだよ」
ママヨの親しい男友達のニーニから送られてきたのは、シタの町のはずれの遊園地のチケットだった。
学校には3日しかいけず、友達のいないチルは仕方なくくねりと行くことに。
けれどいじわるなくねりはチルのチケットまでくわえて遊園地に飛んでいってしまう。
おまけにその遊園地には遊園地が嫌いな受付のお姉さんや、「生きている雲」をつかまえにきたという不思議少女マシュマロの、たったふたりしかいなくて・・・・・・。
マシュマロがチルに見せてくれたノート。
おとうさんから聞いた「生きている雲」についてのノート。
本編中にそのまままるごと収録されていて、まるで自分がマシュマロのノートをのぞきこんでるみたいな気がしてたのしくなる。
・・・・・・この話も一番好きかもしんない。(どっちだよ!)
虹のむこう・・・
くなりがいなくなって一週間。
戻ってきたくねりのそばには、生まれてくるはずだったチルの弟、6歳になったギンがいた。
ギンの姿はチルには見えて、けれどママヨには見えない。
かつて一度そのことでギンはとても傷ついて、チルの前からも姿を消してしまった。
けれどじっさいには、くねりが古井戸の底でギンを育てていたのだった。
今度こそギンを傷つけてはいけない。
そう誓ったチルに、ギンは言う。
「お姉さん、ぼく、もう十分遊んだよ。明日から学校に行きたい。学校mに通える年になったからこっちへ来たんだもの。ね、いいでしょう」
ギンは大事な弟だけれど、もう人間ではない。
学校に連れて行くのをむずかしいといったチルに、ギンは訊く。
「お姉さんまで、ぼくをなかったことにするの?」
迷った末にチルはギンを学校へ連れて行くのだけれど、そこで大変な事件が起きてしまう。
そしてチルは大切な弟ギンを、むこうの世界に帰すことを決意するのだけれど・・・。
終盤。
欠片も想像してなかった意外な事実がわかって、チルと同じくらいとまどってしまった。
けっきょく物語は収まってゆく。けっきょくひとつの魂が、物語といっしょに昇っていく。
そしてけっきょくくねりとも、ここでお別れになるのだけれど。
ふんわりやさしい童話のような物語かと思えば、ひとつひとつの物語が中にいつだって抱えているのは「生きること」「死ぬこと」、「失くすこと」、そして「始まること」。
物語が終わって遠くへ走ってゆくチルは、けれどその瞬間に始まっていく。
やさしいだけじゃなくむしろ厳しいくらいけれど、なんとも素敵な物語。
ちなみに表紙の絵は、『不思議な森にチルが迷い込んでいる絵』なんだって。
松井雪子 『チル☆』 講談社文庫
投稿日:2008-05-05 Mon
![]() | ダックスフントのワープ (文春文庫) (2000/11) 藤原 伊織 商品詳細を見る |
「そのダックスフントは、スケートボードに乗っかってたんだよ。ダックスフントのスタイルは知ってるね。とても足が短い。だからスケートボードは理想的な乗りものだった。彼は発見したんだ。体型にとてもあってる。スケートボードに乗ったダックスフント。頭の中で絵になった?」
(「ダックスフントのワープ」より)
売っては買い、売っては買いを繰り返して、気付けば何度も読んでいる本。好きなのかそうでないのか、未だによく分からない。
4話収録。
ダックスフントのワープ・・・
難解な言葉を好んで使う自閉的な少女、下路マリの家庭教師を引き受けた、心理学科の学生の僕。
そんなマリに僕が語ったのは勉強の話ではなく、「時間的空間的非連続性における跳躍」、つまり異空間、「邪悪なる意志の砂漠」へとワープした、90歳の心優しきダックスフントの物語だった。
僕が即興で語るその物語に下路マリは興味を示し、そうして物語はいよいよ架橋へ差し掛かったのだけれど・・・・・・。
「教訓的」で、さりとて「古典にはなりそうもない」話。
物語の核がどこにあるのかわからなくて、不意に訪れた「悲劇的な」終わりに戸惑ってしまう。
アンハッピーエンド。けれど私はたぶん嫌いじゃない。
ネズミ焼きの贈り物・・・
チャイナドレスを着て哲学書を万引きしていた女の子は従業員に捕らえられ、けれどそれを目撃した「僕」は従業員を階段の上から蹴りつけて、その女の子を逃がした。彼女は「僕」の友人の妹で、とうの友人はおよそ一年前、沸騰した湯船の中で息絶えたという。
タイトル通りのことが実際に起こるので注意。
淡々と語られるぶん、よけいに薄気味悪い。
ノエル・・・
離婚した父親が、息子ノエルの生後2、3ヶ月に送ってきた19世紀のヴィスクドール、ミーアン。
おぞましい過去の関りを象徴するそれは、けれどノエルにとっても姉の翔子にとっても大切な友人であり続けていた。
けれどある夜のある出来事をきっかけに、翔子はついに人形追放の決意をしたのだけれど・・・・・・。
静かな雨の中、突堤に佇む翔子とノエルと、ミーアン。
ミーアンの頭にスティックを振り下ろしたのは、だれだったのか。
ただ、正直この話は嫌い。「ダックスフントのワープ」よりはるかにストレートだけれど、だからよけいに嫌いになってしまった。
ユーレイ・・・
叔父のアンティーク店に勤める、といっても商品知識もなく店の奥に座っているだけの「僕」は、ある日若い女の子のユーレイに出会った。
彼女は毎日かっきり午後二時にこちらに現れ、午後六時にあちら側にもどっていく。
いつしか「僕」とユーレイは親しくなっていくのだけれど、「僕」の誕生日に、ユーレイは唐突に語りだした。それは「僕」がそのときまでけして訊かなかった、彼女がユーレイになった理由。
「光を当てられるまで、自分のことは何一つ気付かない」、「スクリーンでしかない」。
そんな「僕」のもとにある日ユーレイは5時少し前に現れ、そして二度と現れなくなる。
そんな彼女の前で、「僕」ははじめて嘘をついた。
私がこの本を何度も買い戻しているのは、もしかするとこの物語のためかもしれない。
私の拙い文章でこの本の感想を書くのはいくら背伸びしてもとても難しく、けっきょく今回は何も伝え切れなかったかもしれないと思った。
けれどこの本は濃厚すぎて、本当に好き嫌いがわからない。
俗世的、閉鎖的、象徴的、哲学的。いろんな言葉があるのだろうけれど、何を当てはめていいのかわからない。
たぶん一番近いのは、「閉鎖的」なんだと思う。
すすんでお勧めはしないけれど、だれかに気にかけてはほしい本。
藤原伊織 『ダックスフントのワープ 』 文春文庫
投稿日:2008-05-03 Sat
![]() | ともだち刑 (講談社文庫 あ 95-2) (2008/04/15) 雨宮 処凛 商品詳細を見る |
笑われる私はいつもぽかんとした顔をして、次の瞬間、必死で笑顔を作る。だけどその笑顔は、あなたの「笑ってんじゃねぇよ!」という言葉で凍りつく。どんな顔をすればいいのかわからなくて、私は顔の筋肉の震えを必死で堪える。必死で笑うことよりも、笑うことすらできないことの方がよっぽど辛いということを、私は初めて知った。
「今日のテーマは『暖かい』と『冷たい』です」
美大予備校で「お手本」を模写せずに「本当の絵」を描いた私。
けれど講師は酷評することもなく私の絵を無視してのけ、そんな私の耳に響くのは聞こえないはずの笑い声。そして私は思い返す。
中学のバレー部に遅れて入部してきた、芸能人のような憧れの「あなた」。
その「あなた」から、そしてともだちだったみんなから、かつての私が受けた壮絶な痛みの記憶。
(以下、内容についての具体的な記述が入ります。ネタばれはありませんが、少しでも気持ちに影響を受けそうだと思ったなら、これから先を読むか一度考えてから読んでください)
雨宮さんの本は、自伝「生き地獄天国」と「すごい生き方」に続く3冊目。
物語を読むのは初めてだけど、やっぱり雨宮さんの本は死に物狂い。
こんな物語は、たぶん雨宮さんにしか書けないと思う。
バレーが下手な私と、ぐんぐん上達する「あなた」。
トスを外してばかりの私と組んだ「あなた」の顔から、徐々に笑顔が消えていく。
「集団競技の中である程度下手なやつがいじめられるのは仕方ない」と書いていた有名なマニュアル本があった。
仕方ないなんて言葉で済ましてもらいたくはないけれど、実際問題そういう状況ができあがってしまうのは必然なのかもしれない。
心の中で何かを言語化してしまいそうになるたびに、慌ててその言葉を打ち消した。違う違う違う、全然そういうんじゃなくて。あなたは私にバレーが上手くなって欲しいだけ。友達だから。仲間だから。それにきっと、あなたには私が想像もつかないような辛く苦しいことがあって、その気持ちを紛らわせるために私に甘えているだけ。私に心を許しているから。私にしか心を許せる人がいないから。そうして急いで心の中で歌を歌うのだ。
これがすべて、これが正しいなんて言うことはもちろんできない。
けれど現実に生まれる感情のひとつのかたちが、確実にここにある。
「人を選ぶ本」なのではなく、「人が選んで読む」本。
くどいけれど読んでるとものすごく憂鬱になるし、私も読んでてつまんねーことをいろいろ思い出してかなりブルーになってしまった。
ぼかした展開、うわべだけのハッピーエンドなんてごまかしは一切なしなので、調子の悪いときに読むのは絶対NG。というか厳禁。
けど余力のあるときになら、読んで本当ににじっくりと考えさせられる。
読めるひとになら、一人でも多くのひとに読んでほしい本。
雨宮処凛 『ともだち刑』 講談社文庫
投稿日:2008-05-01 Thu
![]() | 佐藤さん (講談社文庫 か 101-1) (2007/06) 片川 優子 商品詳細を見る |
「単刀直入に言うわ、佐伯君」
学校近くのマックで佐藤さんは言った。
「はい・・・・・・」
なぜだか佐藤さんから逆らえないような空気を感じて僕は思わずうなずいた。
「私に憑いてるモノ、見えるんでしょう?」
幽霊が見えてしまう気弱な高校生の「僕」と、幽霊に憑かれてしまいやすい同級生の「佐藤さん」。
当分関りたくない、できれば近づきたくもない。
そう思っていた「僕」だったけれど、思いもかけず佐藤さんのほうから声をかけられ、けっきょく佐藤さんの「除霊」を手伝うことに。
やさしく大人しいと思っていた佐藤さんが以外にしっかりしていて勝気な女の子だったことや、その佐藤さんとの距離が急に縮まったことに戸惑う「僕」。
さらにさらに、佐藤さんに憑依しているおしゃべり幽霊の安土良助さん、それに「僕」の友人の仕切り屋志村も加わって、幽霊中心の不思議でドタバタな毎日が始まる。
買ってからもう何回も読み返してる、すんごくお気に入りの物語。
幽霊を中心にして始まった、「僕」と佐藤さんの不思議な関係。
けれど中学生時代に傷ついた過去を持つ「僕」は、佐藤さんに対してもどこかで距離を置こうとしてしまう。
『佐伯といっしょにいると楽なんだよ。なんでもしてくれるから』
笑いながら言われたセリフ。曖昧に笑った自分。あんな思いをするぐらいなら。
自分の気持ちを素直に口に出して笑うこの少女を、傷つけるくらい、かまわない。
そのたんび、自己嫌悪に陥ってしまう「僕」。
中途半端に気弱で、中途半端にやさしいこころの持ち主なんだと思う。
自分を守ることでだれかを傷つけてしまうことがあると気付いた「僕」は、少しずつでも強くなろうと決意する。
もうひとつ。この物語は一見強くてしっかり者の佐藤さんと、気弱で自信のない「僕」の恋物語でもあるのだけれど。
とにかく「僕」の気弱さ加減に、あきれるのを通り越して笑ってしまう。
せっかく佐藤さんが「私が好きなのは佐伯くんだよ」って告げられても「佐藤さんが好きなのは僕自身じゃなくて、幽霊が見える僕なのではないか」とか何とか
「おい佐伯ぃ!!しっかりせーよ!!」って後ろから張り倒したくなるようにくよくよひとりで悩みこむ。
そのたび、安土さんやら志村やらにせっつかれて、「僕」は少しづつ佐藤さんへの気持ちに気付いていく。
そしてそんな気弱な「僕」は、佐藤さんの思いもかけない過去を知ることになる。
佐藤さんの思いもかけない過去を知って戸惑う「僕」。
戸惑いながらも何とか佐藤さんの力になりたいと思う「僕」に、おしゃべり幽霊の安土さんは言う。
《自分だってできてないのに、人になんか言えんのか?》
幽霊が見えるだけの、気弱な高校生でしかなかった「僕」が、佐藤さんのためにとった行動。
それはけして、だれにでもできることじゃない。
だれかを好きになり、そのだれかにこころから笑っていてほしいと願うこと。
ありきたりで単純で、けれどこれ以上にない素直で素敵な想いの強さを、思い知らされる。
スタバの前で転んで笑って、その側には大切なひとたちがいる。
だとしたら、それって最高のシアワセだなって心底思う。
ちなみに、この物語を書いたとき著者の片川優子さんは中学三年生だったとか。
そんな片川さんの2作目は、17歳のときに書かれた17歳の主人公の物語。
文庫化希望。そっちも今からすんごく楽しみです。
片川優子 『佐藤さん』 講談社文庫
投稿日:2008-04-29 Tue
![]() | 舌の記憶 (新潮文庫 つ 22-2) (2007/07) 筒井 ともみ 商品詳細を見る |
それにしても、おにぎりというのはどうしてあんなにもおいしいのだろう。料理は数々あれど手料理が一番なのは明らかだが、その手作りというものがもっとも素直な形として届くのがおにぎりかもしれない。
(「手のひらに抱かれた米」より)
そうそう、そうなんですよねって心の中で何度もうなづいてしまう。
同時に、口の中で今まで何度もほおばった、たくさんのおにぎりの味を思い出している・・・。
春の茹でたけのこに苺ミルク、夏の白玉に熱々の水団。秋の茶碗蒸しに祭りの綿あめ、冬のおでんに微熱の野菜スープ・・・。
幼少の頃、一年を通して口にしてきた数々の食べ物を記憶から掬い上げ、丹念に綴ったエッセイ集。
食べ物についてのエッセイと聞くと、たとえば高峰秀子さんの「台所のオーケストラ」とか、(エッセイではなく小説なのだけれど)杉浦日向子さんの「4時のオヤツ」とか、なんとなくぼやぼやと楽しい感じを、知らず思い浮かべてる。
けれどこの本はちょっとちがう。たしかに食べ物はとてもおいしそうで「今すぐなにか作りたい!」と読んでて何度思ったかわからないくらい。けれどどこかで、危うさにも似た感覚を持ち続けてしまう。
それはたぶん、「おいしく食べること」と同時に「ひとりで生きてゆくこと」について、深く考えてきた筒井さんの記憶が伝わってくるからなのだろう。
神経を深く痛めていた伯母と、軋轢の絶えずアルコール漬けのスポンジのようになっていた伯父。無口で儚げな母親と、食が細く、微熱持ちの幼い「私」。
そんな4人の関係は、一家団欒というものからはおよそ遠いものだったという。
その中で作り食してきた数々の食べ物たちには、遠く静かな記憶が絡んでいる。
寄せ鍋の夕餉、私は小さな手で菜箸を握り、皆の皿に煮えごろの具を選り分けては盛ってあげたのを覚えている。何かしないでは入れなかったのだ。何もせずに何の気を遣わなくても「家族」でいられる安心感がなかったから、せっせと皆の皿によそってあげたのだ。 (「寄せ鍋嫌い」より)
けれどそれはたとえば、危うくはあるけれども「もの哀しい」とか「緊張を孕んだ」といった暗さとは程遠い。
たぶんそれは、おっとりとした母にはまかせられないからと手ずから水団の団子をつくり、四歳になったばかりのころに行った鶏屋で「心臓と砂肝もお願いします」と頼むような、「食べ物をおいしく」、そのことにだけはけして妥協しないという、強く健やかな心根が(筒井さん自身にも、そしてもちろんこの本にも)生きつづけているからなんじゃないかと思う。
私はいつも書き出しは「その本を一番よく表してて、そして何より私自身が好きになった一文」から始めることにしているのだけれど、今回は本当に大変だった。
なにせ、選択肢があまりに多すぎるから。それは好きというより「魅力的」といったほうがいいのだけれど、とにかく「この文から書き出したい!」と思うような一文が多すぎる。
というわけで、最後にもう一部分引用。
わたしは何度読み返しても、この文章を読むのが一番好きだったので。
台所からはおでんの暖ったかくていい匂いが漂っている。私は腕によりをかけて芥子を溶く。上手に溶きあがった芥子を伯母たちの鼻先へと持っていく。これが私の楽しみなのだ。すると伯母も母も、家の中ではめっぽう無口な伯父までもが、毎回毎回ちゃんと匂いを嗅いで「うぉー、辛いねぇ」と歓声を上げてくれる。これだけ辛ければおでんがおいしく食べられるぞという意味合いだ。 (「芥子とかせりゃ」より)
ことにエッセイ集などはさっさと手早く読んでしまう私なのだけれど、この本だけはじっくりと、それこそ味わうように読み進めながら、亡くなった祖母が揚げてくれた野菜の天ぷらと、祖母の笑顔を思い出していた。
舌の記憶を、ちょっと探ってみてください。
筒井ともみ 『舌の記憶』 新潮文庫
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