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川上弘美 『なんとなくな日々』

なんとなくな日々 (新潮文庫)なんとなくな日々 (新潮文庫)
(2009/02)
川上 弘美

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考えてみればわたしの人生、いつもこのような「なんとなく」の連続であった。
(なんとなくな日々 1 より)

久々に読了本。
なんか最近不安定かつ無気力で・・・とこれ以上書くとメンタルブログになっちまうので省略。
でもそんなとき、それこそなんとなく毒抜きになったのは、この本。

台所の冷蔵庫の泣き声を聞いたり、あまのじゃくな日々を過ごしたり。
上の息子さんと「ぺたぺた」散歩したり、本屋に寄ったり小さな子供の言葉に「教えられてしまった」り。
なんとなくな、曖昧な世界を描く川上さん作品の、
ぼわぼわした感じそのまんまの、「なんとなくな日々」。

不思議なもので、何もたいしたことは書いてない。
ほんとに些細なことばかりが綴られていて、なんていうか、せん無い出来事ばかり。
けれどもそんな一項一項が、めくればなんとなく可笑しくなって、
「あはは」ではないけど、「くふふ」とこころの中でこっそり含み笑いしてしまう。

とどめに、「あ、これはわかる!」って箇所にあうと、やっぱりなんか嬉しいじゃないですか。

なんだろ、たとえば・・・

いちにち家の中にいて夜が来ると、自然に気持ちが台所に向かうことがある。
何かをつくったり洗ったりするというわけでもなく、台所にただ佇んでじっとしていたいような心もちになるのである。冷蔵庫がぶうんと唸る音を聞いたり、電子レンジの時計の表示がぷつんぷつんと移り変わっていくのを眺めたり、湯沸しのかすかな炎の音を聞いたり、棚の上にいつも置いてある大きな鍋を見つめたり、ただそんなことをしたくなるのである。
 (『台所の闇』より)

ポットのお湯、湯沸しの音がことこと、ぶーんと鳴ってる音が、寝てると台所から聞こえてくる。

というの状況というか場面が私は何気に好きなんで、それでなんとなく川上さんの文章に近しいものを感じてしまって、なんかひとりで勝手に親近感覚えたり、ちょっと得心してみたり。

この感覚っていうのが、私がその人を好ましくなる(別に恋愛沙汰でなく)第一基準。
何気ない場面をちゃんと頭のかたすみでもってて、そういう小さな何気ない大事を、
それとなく、けれどしっかりと知っているひと。
好き嫌い抜きにして、こういう感覚というか感性って、本当に素敵なものだと思う。
河童なんかが出てくるのは(しかもごくふつーに、なんでもないことのごとく扱われてるのは)、
なんかいろいろツッコミたくなるけど(笑)。

あとは一方での話。
こちらはもうなんか慧眼というか、日常なんだけどその中で、どきっとしたり思わず唸らされてしるするような文章が時折顔をのぞかせて。
そのたんび、ぼわぼわした川上さんの、すくっと芯のとおった気配を感じて、こっちまでしゃきっとかまえてしまったりもする。(たとえば、「蝋燭の光」など)
そんなことを感じるのも、またおもしろいんだけど。

「なんとなく」暮らす(別に怠惰とか、そんな意味ではなく)ことにしんどくなったら、
おかしな方向に回転する頭の気休めに、すんごく有効な本。

読んでて感じたプラスでもマイナスでもない感覚が、やさしい気がして好きでした。

川上弘美 『なんとなくな日々』 新潮文庫
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川上弘美 『ニシノユキヒコの恋と冒険』

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)
(2006/07)
川上 弘美

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「どうして僕はきちんとひとを愛せないんだろう」
そういうたちだからよ、とわたしは言おうとして、やめた。ユキヒコが、かわいそうになったからだ。
(「おやすみ」より)

ニシノユキヒコ。
姿見もよく、セックスもよく、性格はおだやかでやさしく、けれどかなりの女たらし。
けれど例外なく、最後には必ず女のほうから去られてゆく。
どうして去るのか去られるのか。
ニシノユキヒコ、ユキヒコ、幸彦、西野君、ニシノ、西野くん。
彼とかつて関った十人の女たちが思い返す、そのしょうもなく、そして切ない生き様。
最後まで愛し愛されることを捜し求めた男の人生を綴る、連作短編集。

うわ・・・こいつどうしょうもねえなあ・・・・・・。
というのが一番最初に思った感想。

そこそこに容姿端麗で、絶妙な美辞麗句にも長けている。
なにしろ主婦暦三十年のササキサユリをもってして、
「女自身も知らない女の望みを、いつの間にか女の奥からすくいあげ、かなえてやる男」とまで
言わしめたほどなのだ。こんな男、そうそういるもんじゃないどころか、もしかしたら本当はどこにもいないのかもしれない。
けれどどうしても、どうしようもなく、本当には愛すことは出来ない存在。

関わりを持った十人の女たちが語る、ニシノにまつわる十の恋と、そして別れの物語。
古くは中学生時代、果ては五十代までのニシノと、
七つの少女から結婚して三十年以上の(本文中の意味で)妙齢の女性の関わりの記憶。

いつでもだれでも変わりない。
いつもいつも好きになったようなのに、最後の最後に好きになれない。
愛せるようで愛していない。愛せないようで愛しそうになる(けれどけっきょく愛せない)。
あっさり、やがてきっぱり、女たちはニシノから離れていく。
取り残された(という完璧な顔をしているだろう)ニシノは、どうしてボクは愛せないのだろう、どうしてこんなことになってしまったのだろうと、子どもみたくどうしてどうしてを連発しながら、たたずむばかり。

しんみりしてるけど、もの哀しいけど、明るくておだやかで、ほっとさせるようなとこもある。
パフェを「パフェー」と語尾を伸ばして発音したり(「パフェー」)、風邪をひいた彼女に絞ってやろうと、ぶどうを買いに行ったり(「ぶどう」)、土管の中で寝転んだり(「水銀温度計」)。
けれどやっぱりいつも立ち返ってしまうのは、ニシノのいない、いなくなったとき。

それにしても、十もの物語を読み終えてもこの男の正体というか、根っこがわからない。
たしかに目の前にいるのに、触れているのに、けしてここにいると認識できないような感じ。

ニシノユキヒコ、ユキヒコ、幸彦、西野君、ニシノ、西野くん。
たくさんある呼び名と同様、その心根だってほんとうのところちっとも見えてこない。

どんなに目を凝らしても凝らしても、ここにもどこにもいないようでいて、そのくせそんなことはない、ボクはここにちゃんといるんだ!!と叫びまわってるような男。強いて言えば、こんな感じかも。
そういえば、物語の中でニシノと女の子の、こんな会話がある。

「だって僕はつくりものだから、いつかマナミのことが好きじゃなくなる」
「そうなの」
「そう、つくりものは、結局ほんものの人間とまじりあえないんだ」
(「おやすみ」より)

つくりものじゃないくせに、ほんものの人間のくせに。
何を言ってるんだろ、この男。

でも不思議とイライラしない。
別に同情したりもしないけれど、突き放す気にもならない。

これってむちゃくちゃズルい。ズルいんだけど、憎めない。
いったいなんだったんだろう、ニシノとは。
何を求めて、何を知って、何を手に入れたんだろう?

読後はそんな考えてもせんないことにばかり気をとられてしまって、しばらくぼんやりしたまま。
心地よかったような、つらく苦しかったような、泣きたいような。
そんな白昼夢でも見たような、不思議で不穏で、おだやかな気分。

余談だけど、こんなやつ、周りにいたらどうなるんだろう。
関るのか、関らないのか。
たぶん多かれ少なかれ関ってしまう気がするけれど、でも絶対に愛されることはないだろうなと
やっぱりそんな気しかしない。

川上弘美さんの不思議本たちの中でも、これだけは最後まで、掴めなかった物語。
不快じゃなくて、むしろおだやかで切なくて好きなのだけど、どうしても読むたんび、
どうしようもないような不穏が、あとからあとからあふれてきて、なんだかすこし、困ってしまう。

川上弘美 「ニシノユキヒコの恋と冒険」 新潮文庫
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川上弘美 『古道具中野商店』

古道具中野商店 (新潮文庫 か 35-7)古道具中野商店 (新潮文庫 か 35-7)
(2008/02)
川上 弘美

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こうやって死ぬまでの一生、不安になったり茫然としたりして過ごしてゆくのかと思うと、今すぐ地面に寝そべってぐうぐう眠ってしまいたいくらい、気が重くなった。でもそれでもタケオが好きだった。好きをつきつめるとからっぽな世界に行ってしまうんだな。わたしはぼんやり思った。

今までのところ、私の中の「川上さんベスト作品!」はセンセイの鞄だったのです。
けども、こちらもすんごくよかった。骨董品じゃなくて古道具、なところが川上さんっぽい。
とにかくものすごく好きだな、こんな話。

東京の西の近郊のどこかの町にある古道具屋「中野商店」。
「だからさあ」を連発する中年店主の中野さん、その姉貴でゲージュツカ(どうやら人形作家さんのよう)のマサヨさん、無味(←解説より。すんげー良い表現なので引用)なバイト店員、タケオ。そして同じくバイト店員の「わたし」。

基本このメンバーが主要で、メインはたぶん無味で人間不信なタケオと「わたし」の冷戦じみた不穏を含めたたゆたうよーな気持ちのやりとりなんだけど、そのうち中野さんの「銀行」(←なぜかここでは「愛人」の意)サキ子さんがところどころ加わったり、よくわからないお客の田所とかマサヨさんの恋人丸山がちょこちょこ出てきて、ときどき一悶着あったりもする。

中身を出さないタケオとそんなタケオにいらつく「わたし」とか、中野さんとサキ子さんの不穏だとか、ときどきどきっとするよーな緊張を孕んだりしながらも、基本はけっこうだらだらした物語。
売る、買う(引き取る)、市に行く、食べる、ひとが来る。
ものすごく端折ってしまうと、この一文で説明できるくらいだらだらと単調。
でもこの単調ていうかだらだら感がくせになる。ずっと浸っていたいって心底思ってしまう。
夏場なんかにだらだらしながら読んだりするといいかもしれない。

あと、終わりのほうの展開っていうか構成っていうか。とにかく終わりのほうが好き。
あははわかったから、どーかどーか不滅でいてくれよって思う。

そーいえば解説でちらりと触れられてましたけど、川上さんの弟さんは骨董品屋さんだそうです。

ついでに「たゆたう」って言葉はたぶん川上さんの本のどれかを読んでて見知った言葉なんですが、これってそのまま川上さんの本の代名詞にだってなれるけっこー地味だけど素敵な言葉だと思う。

いろんなところで、私はどんどん川上さんの本を好きになってゆく気がする。

川上弘美 『古道具中野商店』 新潮文庫
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川上弘美 『おめでとう』

おめでとう (文春文庫 か 21-5)おめでとう (文春文庫 か 21-5)
(2007/12/06)
川上 弘美

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「朝に生まれた子供はしあわせになるっていう言い伝えを聞いたことがあるよ」竹雄は言った。
「竹雄は、朝に生まれたの」
「いや、夜遅く、らしい」
「それなら夜の子供もしあわせになると思うよ」
「そうだといいね」
 (「夜の子供」より)

束の間の逢瀬だとか、「うらめしい」ととりついた気弱な幽霊だとか、どこまでもゆっくりと流れてゆく川だとか、桜の樹のうろに住んでる恋人とか、「西暦三千年一月一日のわたしたちへ」だとか。
川上さんの書く、「いつか別れる私たちのこの一瞬をいとおしむ短篇集」(裏表紙より)。

12篇収録。今回は、中でもとくに好きだなーと思った5編をご紹介。

いまだ覚めず・・・
十年ぶりに、「あたし」はタマオさんに会いに三島へ行く。
いつしか接吻することをためらうようになり、タマヨさんからもうあなたと二人で会わないと言われた。
タマヨさんの家の庭には、大小の鳩の入った大きな籠があった。

どうにもこうにも・・・
去年の七月から、気弱な幽霊、モモイさんに憑りつかれている「私」。
モモイさんは「いのうえ うらめしい」といいながら出てきて、ちょうど井上と縁があった私に憑りついたのだった。
あるときモモイさんの「幽霊的能力の行使」(=強要)により、私とモモイさんは井上に(けっこーささやかな)復讐をすることになったのだけれど・・・。

ぽたん・・・
日曜日ごとに飼っているメンドリを公園に散歩させにくるミカミさんを、日曜日の夕刻、約束したわけでもないわたしは待っている。
週に一度、雨天中止。そういう逢瀬、ともいえなくもなく。

・・・
一郎がわたしの部屋に行くことなんてほとんどない。
くさむらで食料を広げていると、「酒忘れた、しまったなあ」といいながらさっさと一郎はコンビニに行ってしまう。わたしを残して。鴫が何羽か、浅瀬を歩いている。

ばか・・・
男が「このおまま死んでしまいたい」と、せつなげに言う。何故なのかはわからない。
藍生は久しぶりに、線路の上を歩くことにした。

いつもどおり、ぼわぼわとして、つかみようのない物語たちが集まってる。

物語だけでなく、登場する人間やそれ以外だってぼわぼわしててつかめない。
庭で籠に入った大小の鳩を好きでもないのに飼っているタマヨさんとか、わざわざ化けて出てきて「復讐する」と言いながらも、ちまちました嫌がらせしか思いつけない幽霊のモモイさんとか。
(そんな中で「天上大風」の「私」はとっても論理的で、あまつさえその論理的思考を実際に実生活に完璧に敷衍できている。けれどもやっぱりつかめない)

ぼわぼわぼわぼわしたまま、読み終えてみると不思議なまでにぼわぼわした、なんともいえないようないとおしみがあふれ出してくるような気がする。

なんか「ぼわぼわ」言ってるだけでちっともまともな感想にならない。
書こうとしても、この感覚を私の知ってる少ない言葉でどうあらわせばいいのか、見当もつかない。
とっても「ぼわぼわ」してて、私はこの本とっても好きなのだけれど。

どなたか上手い感想文があれば、教えてください。(白旗)

ちなみに12番目、最後の物語「おめでとう」は、とてもせつなく、物悲しくなる話。

(ところで文春文庫版の解説は栗田有起さんでした。なんて豪華。)

川上弘美 『おめでとう』 文春文庫 新潮文庫
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川上弘美 『センセイの鞄』

センセイの鞄 (文春文庫)センセイの鞄 (文春文庫)
(2004/09/03)
川上 弘美

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正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
「先生」でも「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。


ツキコさんはある日居酒屋で高校の恩師である「センセイ」と再会し、以来おたがいに憎まれ口をたたき合いながらも酒を飲み、肴をつつく日々。
ときにはセンセイとふたりで汽車土瓶でお茶を飲んだり、市へ行ってお弁当を食べたり、ときにケンカしたり、キノコ狩や花見に参加したり、島に出かけたりもする。
そんなセンセイとツキコさんの、たがいに切ない思いを抱きながらも、ゆったりと流れる日々。

何度読み返したか、ふと思いついたときにたぶん5、6回くらい読み返してる本。
川上弘美さんの本の中で、一番好きな本。

じつはツキコさんというひとが、ものすごく好きです。たとえば、

恋愛というものがそんなじゃらじゃらしたものなら、あまりしたくないとも思っていた。

ウンメイノゴトキコイ。自分にやがてウンメイノゴトキコイがおとずれる可能性は、万にひとつもないだろうと、スピーチを聞きながら、雛壇に座る恋人と友人を眺めながら思った。


とか。よーするに、勝手に感情移入してるだけなんですが。
(「恋愛しない」と「できない」はちがうんだよって、しごくまっとうなお声が聞こえてきそうですが)

あと、センセイとツキコさんの「切ない思いをおたがいにかかえながら」の、距離。
とにかくもどかしい。飄々としてるセンセイも、憎まれ口を叩くツキコさんも。
「もー何やってんだよ」っておせっかいを言いたくなるけど、そのすぐ後で「ま、いいか」って必ず思わせるような、不思議な距離。

それともうひとつ、時間。
30歳近い年の差を抱えるふたり。

「ツキコさん、ワタクシはいったいあと、どれくらい生きられるでしょう」

センセイの言葉が突き刺さるような気がするのは、けして気のせいではないです。

そして、物語の終焉。

結ばれたふたりと、終わってしまった時間の中で、「センセイの鞄」ばかりが、ただある。
こんなふうにはかなくて、いつまでもこころに染みるお話を、私は他に知らないです。
ツキコさんじゃないけど、「ウンメイノゴトキコイ」がおとずれとするなら、私の理想はこの物語です。

最後に、本編中で一番好きな文章を引用。

センセイとは、さほど頻繁に会わない。恋人ではないのだから、それが道理だ。合わないときも、センセイは遠くならない。センセイはいつだってセンセイだ。この夜のどこかに、必ずいる。

川上弘美 『センセイの鞄』 文春文庫 新潮文庫
プロフィール

小津りゆ

Author:小津りゆ
3年ぶりぐらいですが、ログイン。夢だった資格をとってそれなりの仕事始まったはいいものの、現実にどっしん追突し、車体ボロボロ、エンジンぷすんぷすん状態です(なにそれ)。仕事の本ばっかりで、めっきり小説を読む時間が減。もしかしたら引っ越しして続編するかもです。

※since 2008.2.17

※オリジナル物語サイト、始めました。『ことあら』(リンク欄からどうぞ)

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