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星野博美 『のりたまと煙突』

のりたまと煙突 (文春文庫)のりたまと煙突 (文春文庫)
(2009/05/08)
星野 博美

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すべてを忘れて、私たちは幸せに近づいたのだろうか。 (『過去の残り香』より)

冒頭の引用はそのまま帯の飾り文句なのだけど、
今回このけして安くはない本(相変わらず金欠病なので)を買ったきっかけになった言葉。
先に行ってしまうと、角田光代さんのあの(迷ったけど、あえて書かず)解説も一因。

といいつつ、あの『銭湯の女神』の星野さんのエッセイ!って時点で、まあ7割がた買いだったけど。
(にしても『銭湯の女神』の感想文、今読み返したけどあまりにひどすぎて悶絶・・・。放置するか書き直すか、しばらく考えときます、どうせ再読するし。。)

さてこれまた久々に、本編へ。

吉祥寺と、戸越銀座。
自分に関わった野良や飼いネコたち。
のりたま(ふりかけでなく、ネコたちの名前)と煙突という、不思議な響きのタイトルを持つこの本には、
ときに国を超えた数多くの「死」と、それらを見つめる写真家であり、作家の星野さんのまなざしが、そこかしこにあるエッセイ集。
星野さんの日常から生み出されたエッセイにある、作家というより写真家としての星野さんの目線には、ときどき鋭くどきりとさせられる。
知らないことではないのだけど、奥深くにしみこんだものをぐっと遣われたような、痛みにも似た感覚。

写真を生業にしている分、写真を撮る、撮らないとい選択の理由は、一般の人より明確に持っているつもりだ。私が写真を撮る時、それは「この瞬間はもう二度と訪れない」と感じる時であり、そこにあるのは、喜びというより、哀しい予感である  (『白猫』より)

写真を撮る、という日常での行為の小さな一コマ。
その奥底にあるものを捉えられたような気がした、たとえば上記の文章だったり。

飼い猫の死、野良猫の事故死、戦争の記録、若い友人たちの相次いだ死、祖父母の死、
見ず知らぬ他人の自殺、心優しい大家さんのいつのまにかの不在。
テーマに置くことを通り越して、日常の中の「死」を、日常の中から真っ向から見据える星野さんの視線や思考は、ときに星野さん自身にも容赦なく、けれど絶望にはゆかない強さをもって、この本の中につまっている。

軍需工場、空爆、占領、米軍住宅、親米大学・・・・・・その遍歴を考えていると、心がイラクへ飛んだ。
イラクでもこれから半世紀がたったら、そこに米軍住宅があったことを誰も覚えていないような芝生の公園ができ、無数の家族たちが幸せそうに花見をしたりするのだろうか。
開校にアメリカが深く関わったことを知らない学生たちが、ベースボールをしたりフリスビーを飛ばしたりして楽しいキャンパスライフを送ったりするのだろうか。
それとも、それほど忘れっぽいのは私たちだけだろうか。
 (『過去の残り香』より)

とはいえたとえば「戦争」といってみたところで、それは「教科書の太字」でしかなく、
真に迫った考察なんか、正直私には、今の時点ではできそうにない。
中央線に飛び込んで30分で「回収」されたひとや、落下した場所から死後を悼む痕跡すら跡形もなく消し去られたひと。
「もしもその人の魂がこの三十分間、現世の人間たちを眺めていたとしたら、もう一度死にたくなってしまったかもしれない」という感覚にうなづきながら、それでもいやに“傍観者”な自分がいる。

大学生の時、乗っていた終電間近の混み合った中央線に誰かが飛び込んだとき、どんな人だったか、どんな事情があったのか、何を思いながらこの電車に飛び込んだのかを考えたら、しばらくうなされたものだった。
それがいまでは、死にゆく者の無言のメッセージに思いを馳せることもなく、ただ考えることといえば自分の予定に変更が生じたことへの苛立ちと、早く、安く、うまく目的地へと到達する方法なのである。
なんというおぞましさだろう。
 (『中央線の呪い』より)

けれどうなずきながら、迷惑だとか苛立ちとか、はたまたそんなものだろとか、そんな言葉も今このときに大学生の自分の頭にちらちら浮かぶってのも、じつは実際のところ。

「さりげない日常からつむぎ出される短編小説のようなエッセイのひとつひとつに、現代への警鐘と内省がにじむ」 (裏表紙より)

感じられたのは、裏表紙の文章に書かれている“現代”が、この本を読んでいるひとりひとりの名前に姿を変え、冒頭の問いかけへともどっていくという、そんな感覚。

すべてを忘れて、私たちは幸せに近づいたのだろうか。

忌み嫌うもの、恐れを抱くものを見ない振りして遠ざけて(そんなことはできはしないのに)。
少なからずそうした側面をもつこの“現代”は、どんな跡を残すのだろう。
もしかしたら「死」すらも「教科書の太字」になってきているかもしれない頭の中で、
一瞬、無性にその答えを見つけたくなった。

星野博美 『のりたまと煙突』 文春文庫
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星野博美 『銭湯の女神』

銭湯の女神 (文春文庫)銭湯の女神 (文春文庫)
(2003/12)
星野 博美

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あれそこまでおもしろくねーよ、だいたい単純じゃねーかなんて毒舌吐きながらついつい毎回見てしまうのは、『斎藤さん』水曜夜10時。
よーするになんだかんだ言いながら、ちゃっかりはまってるじゃねーか、オレ。

・・・ハイ。

というわけでこんにちは、月見です。

なんでしょーか。

最初に斎藤さん見たときは、「たしかに正しいけどさ、そんな単純にいかねーよ実際」なんて思いながら見てたんですが。

ドラマの方も全然月見の思ってたような単純な話ではなく。

いつのまにやら引き込まれてしまった月見です。
あれって、女優さんとか脚本家さんたちとか、物語自体の持ってる力なんでしょうね。
すげーな。

ところで昨日の『斎藤さん』で、真野の旦那さんが「斎藤さんも迷いながら、それでも勇気出してやってる」みたいなことを言ってて、それで思い出した本がこちら。

星野博美 『銭湯の女神』 文春文庫

写真家・作家の星野博美さんのエッセイです。

星野さんの有名な著作に、転がる香港に苔は生えないっていう本があるのですが、これは返還前後の香港から戻ってきたあとに書かれたものです。

いとしい香港から戻ってみれば、異和感のなかに生きる私がいた(内容紹介より)

この本ではそんな星野さんの目から見えた東京が、39編のエッセイを通して語られます。

100円均一の品物たちについてのくだりなんか、ものすごく考えさせられました。
それでも買うんですけどね、安いから。

「肩に力が入りすぎ、道徳の教科書かケーモ-系論壇誌のようだ」、なんて言い方をするひともいましたけど、月見はこの本、かなり好きです。

見落としたり見ないふりしてしまうもの。
そんなものこそきっちり見据えるという物の見方もそうですが、
「迷いながらも勇気~・・・」ってくだり、星野さんって斎藤さんに少し似てる気がします。

こういうすすめかたをするのも変ですけど、斎藤さん好きなひとにはオススメです。

ていうか真野の旦那さん役のひと = 映画、間宮兄弟の兄貴役のひと だったんですね!

初めて斎藤さんで見たとき、たまらず爆笑しました。「おあ、マミヤだー!!」って。(失礼)

演技上手いですね。とても同じ人に見えない。(当然っちゃ当然なんでしょうけど)

このブログ読んでくださってて、かつ斎藤さんも見てるってかた。

映画「間宮兄弟」を見ることを、すんごくオススメします。

笑えます。もちろん、映画自体もすんごくおもしろいです。

・・・なんか『斎藤さん』の紹介なのか『銭湯の女神』の紹介なのか、はたまた『間宮兄弟』の紹介なのかわからなくなってきました・・・。

・・・・・・。
 
・・・終わり?(終わりです。なんかすみません)
プロフィール

小津りゆ

Author:小津りゆ
3年ぶりぐらいですが、ログイン。夢だった資格をとってそれなりの仕事始まったはいいものの、現実にどっしん追突し、車体ボロボロ、エンジンぷすんぷすん状態です(なにそれ)。仕事の本ばっかりで、めっきり小説を読む時間が減。もしかしたら引っ越しして続編するかもです。

※since 2008.2.17

※オリジナル物語サイト、始めました。『ことあら』(リンク欄からどうぞ)

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