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平松洋子 『忙しい日でも、お腹は空く。』

忙しい日でも、おなかは空く。 (文春文庫)忙しい日でも、おなかは空く。 (文春文庫)
(2012/02/10)
平松 洋子

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「やっぱり食べてよかったな。つくっておいてよかったな」
きっとそう思うはず。
時間も元気もなくなりそうなときは、先回りして手を打っておこう。
 (「けんちん汁 日本のミネストローネ」より)

忙しい日に「わずかな手間だけれども」の、塩トマト。「先手を打つ」冷やしなす。「きゅっと酸っぱい」レモンごはんから、「味覚を清める」ささみだしの卵スープえんどもあ。
はたまた、今日はうちにいたい、そんな日には「季節の音を聴く」氷、「秋の夜長にひとり」片口、「気軽なうつわ」のガラスのコップに、薬味がどっさり、なんてのもあり。

それでは自分の味をつくろうと、「調味料はひとつだけ」の鶏のから揚げ、「切りかた」を変えたたくあん、「年中惜しげなく」使う漆のうつわ、「安心を手に入れる」麻のキッチンタオル、等々。

それでなにかを変えたいとき、「ちぎらずにはいられない!」ちぎりかまぼこ、「一度でやみつき」必至の豆腐のオリーブオイルがけ、「本日はうつわです」、使わなくなった弁当箱・・・。

忙しくても、ときどき忘れてしまっても、それでもいつのまにかお腹が空く。
そんなとき、身に沁み込んだいとしい一皿と、お気に入りの道具があること。
そのささやかなよろこびを綴ったエッセイ集。

丹精込めてつくられましたというような、本なのに読後感は「いただきました」という感じ。
平松さんのしっかりとした文章を読むと、しっかり本読んだなという気になります。
「天国はまだ遠く」で、主人公が絞めたての鶏肉を口にして「こういうしっかりしたものを食べてると自分が生きているっていうことを良くも悪くも実感する」みたいなことを思ってたのを思い出しました。近いかも。

表紙からしてもうストライク。食べ物好きにはたまりません、というところ。
「梅干し番茶」「雑穀おにぎり」「春菊とプロシュートのサラダ」、「ジャム添えビスケット」「柚子茶」「お粥」、「ナッツとにんじんのサラダ」「白菜キムチ」、「きゅうりのライタ」、まだまだ続く、食べ物レシピづくし。贅沢だし、それでいて単なるレシピ集にならない、なんとも「こっくりとした」味わいの文章。


お粥のおいしさは、食べたあとによくわかる。からだのまんなかに、ぽっと静かな灯りが灯ったようなおだやかさ。なのに、たっぷりとした満足感がある。それは、心沸き立つにぎやかなおいしさではない。しだいにゆるやかに満ちていく充足のよろこびだ。 (「お粥 じつはとても贅沢」より) 

味を伝えるというのともちがう、それを食べたり、使ってものをいただくことそのものを伝えるような、丹精、繊細で、ゆるやかなのに芯のとおった文章ならび。

迫ってくる味ではないのだ。丹念に自分で探し当てるあえかな味。 (「(「そば湯 とろり、優しいポタージュ」より)

まさにそんな感じ。
自分の身の回りにあって、今の自分をかたちづくるもの、それをたすけてくれるもの。

好きな音楽。読みたかった本。書きたかった便り。グラスをつたい降りる蒸気のひとすじを眺めながら、自分ひとりの充足がたっぷりとここにある。 (「ヴァン・ショー 深夜におとなのぬくもり」より)

立ち止まりにくい毎日の中、少しよゆうができたときに立ち止めるように、ひとりの充足のもとを、ひとつだけでも見失わないように。
そんな心持を、料理と道具、そして日々の心持をつづって伝えてくれる平松さんの文章は、やっぱりどうして、いいようもなく、すごいと思う。

平松洋子 『忙しい日でも、お腹は空く。』 文春文庫 
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平松洋子 『平松洋子の台所』

平松洋子の台所平松洋子の台所
(2001/07)
平松 洋子日置 武晴

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(画像は単行本。実際に読んだのは文庫版です)

「電子レンジ、捨てるよっ」
十年も前のある日のことだ。私は、眉根を寄せて強面をつくり、けれども内心どきどきしているのを押し隠しながら家族の前でこう言い放った。
決めたんだからね、有無は言わせないからね。「家じゅうで最も許容範囲が狭い」この私が宣言するのだから、もはや誰にも止められやしないよ。反対しても無駄というものだよ―――そういう気分をこの短いセリフの中にぎっしりこめたつもりである。
 (「慣らし期間 『鉄瓶』」より)

煎餅入れのガラス瓶に野菜を活け、床には野菜の転がった江戸時代の煮しめ皿。
白い湯アカで覆われた錆び知らずの鉄瓶に、勢いよく米を流せば乾いた音をたてる、ブリキの米びつ。
こころ豊かに暮らすことに、一切の妥協なし。
「暮らしの達人」が贈る、珠玉のエッセイ集。

「ひと目見て、あ、これだ、と思った」

帯に書かれたこのひと言は、そっくりそのまま私の気持ち。
そう、まさに「ひと目見て」、「あ、これだ」と思ってしまって、買い物リスト(給料日の次の日あたりに作る、購入本リスト)にはない本なのについつい衝動買いしてしまったのは先月のこと。

「電子レンジ、捨てるよっ」
って、こんなこと突然言われたら、なにも平松さんのご家族でなくても非難や皮肉のひとつやふたつくらいぶつけたくなるというもの。
でもそこはそれ、達人、平松洋子さんの策には抜かりなし。

一ヶ月、二ヶ月経つと、ぶうぶう言ってたご家族も降参、というか慣れてしまって、小鍋や蒸篭をフル活用。それを見て、ふふふと小躍りする平松さん。
読んで「へー、そんなもんなのかなー」ってほうと思ったけど、案外そんなもんかもしんない。
けれど読んでると、素朴なこんな疑問がわいてきた。

「なんで、そこまでするんだろ」。

平松さん本人も言っているとおり、電子レンジ一台あるほうが、生活するためには何倍も便利なはずなのに。
料理ならともかく、なんで手間隙かけてこんなに道具にこだわるんだろ?

ふと思った素朴な疑問。
けれどずっと読んでると、なんとなく平松さんの返事みたいなものが見えてくるような気がする。
たとえば。

新しい米袋を買い、袋の口を開けて米袋を抱え、米を勢いよくざあーっと米びつに流し入れるときがむしょうに好きだ。ブリキに当たって米が乾いた音をたてる、その音を聞くのも好きだ。この二十五年間、何百回となく繰り返してきた些細な家事だが、しかし、そのたびに自分の暮らしの梁の一部を確かめるような、そんな気分を味わう。 (「知足 ブリキの米びつ」より)

そんな要素を満たしていれば、磁器でも陶器でも漆器でもなんでも―――ところがそんな茶碗においそれと出逢えるはずもなく、それならば、とあえて間に合わせのものでごまかし続けてきたのだった。
だって、ごはんを盛るのだ。生活の基本。生きる糧の受け皿。家族の健康の根っこ。すべての基本を託すごはん茶碗をないがしろにできるはずがない。
 (「わたしのごはん茶碗 根来塗の碗」より)

読んで思わず、ほうとため息が出た。
こんなにも、ひとひとりの想いをこめた暮らし。
ここまで思って道具を使ったことがないのでわからないけれど、暮らしを支えるのは、やっぱりそのひとの想いと、想いのこもった道具なんだろうなって、思った。

とにかく素敵すぎる一冊。
せっかく文庫本になったんだから、みなさん読まなきゃ大損ですよ。

平松洋子 『平松洋子の台所』 新潮文庫
プロフィール

小津りゆ

Author:小津りゆ
3年ぶりぐらいですが、ログイン。夢だった資格をとってそれなりの仕事始まったはいいものの、現実にどっしん追突し、車体ボロボロ、エンジンぷすんぷすん状態です(なにそれ)。仕事の本ばっかりで、めっきり小説を読む時間が減。もしかしたら引っ越しして続編するかもです。

※since 2008.2.17

※オリジナル物語サイト、始めました。『ことあら』(リンク欄からどうぞ)

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