投稿日:2008-03-07 Fri
![]() | センセイの鞄 (文春文庫) (2004/09/03) 川上 弘美 商品詳細を見る |
正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
「先生」でも「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。
ツキコさんはある日居酒屋で高校の恩師である「センセイ」と再会し、以来おたがいに憎まれ口をたたき合いながらも酒を飲み、肴をつつく日々。
ときにはセンセイとふたりで汽車土瓶でお茶を飲んだり、市へ行ってお弁当を食べたり、ときにケンカしたり、キノコ狩や花見に参加したり、島に出かけたりもする。
そんなセンセイとツキコさんの、たがいに切ない思いを抱きながらも、ゆったりと流れる日々。
何度読み返したか、ふと思いついたときにたぶん5、6回くらい読み返してる本。
川上弘美さんの本の中で、一番好きな本。
じつはツキコさんというひとが、ものすごく好きです。たとえば、
恋愛というものがそんなじゃらじゃらしたものなら、あまりしたくないとも思っていた。
ウンメイノゴトキコイ。自分にやがてウンメイノゴトキコイがおとずれる可能性は、万にひとつもないだろうと、スピーチを聞きながら、雛壇に座る恋人と友人を眺めながら思った。
とか。よーするに、勝手に感情移入してるだけなんですが。
(「恋愛しない」と「できない」はちがうんだよって、しごくまっとうなお声が聞こえてきそうですが)
あと、センセイとツキコさんの「切ない思いをおたがいにかかえながら」の、距離。
とにかくもどかしい。飄々としてるセンセイも、憎まれ口を叩くツキコさんも。
「もー何やってんだよ」っておせっかいを言いたくなるけど、そのすぐ後で「ま、いいか」って必ず思わせるような、不思議な距離。
それともうひとつ、時間。
30歳近い年の差を抱えるふたり。
「ツキコさん、ワタクシはいったいあと、どれくらい生きられるでしょう」
センセイの言葉が突き刺さるような気がするのは、けして気のせいではないです。
そして、物語の終焉。
結ばれたふたりと、終わってしまった時間の中で、「センセイの鞄」ばかりが、ただある。
こんなふうにはかなくて、いつまでもこころに染みるお話を、私は他に知らないです。
ツキコさんじゃないけど、「ウンメイノゴトキコイ」がおとずれとするなら、私の理想はこの物語です。
最後に、本編中で一番好きな文章を引用。
センセイとは、さほど頻繁に会わない。恋人ではないのだから、それが道理だ。合わないときも、センセイは遠くならない。センセイはいつだってセンセイだ。この夜のどこかに、必ずいる。
川上弘美 『センセイの鞄』 文春文庫 新潮文庫
投稿日:2008-03-07 Fri
![]() | 天国はまだ遠く (新潮文庫) (2006/10) 瀬尾 まいこ 商品詳細を見る |
身体も心もすっきりしない。いつもどんより重い。そんな毎日が延々と続いた。早く解放されたいって、心身共に訴えていた。
23歳のOL、千尋はどこか遠くの場所を見つけて死ぬつもりだった。
ところがいざ辿り着いた山奥の民宿で、自殺に失敗。
民宿の大雑把な田村さんや大自然、村の人々との交流で、
千尋のこころはしだいに癒されてゆく千尋。
けれどゆったりと流れる日々の中、千尋はやがて気づいてしまう。
ここにはわたしの居場所はない、と。
素朴。素朴でしんわり良い話。食べ物で言えば丸ボーロ、といったところでしょうか。(なんだそれ)
大雑把なやさしさと、しっかりした食べ物と。
なんてことないけれど、そんなものでけっこうこころに染みわたる。
(千尋だけでなく田村さんがいるおかげで)おおげさすぎないところも、好きです。
あんまり本筋とは関係ないんですが、お米とか魚とか鶏肉とか、とにかくしっかりした食べ物が、これまたしっかりと描かれているのも好きです。その食べ物にまつわる気持ちとか、読んでるとなんか安心する。
たとえば、
食事をすると、自分が生きていることがわかる。
生きているのが良いのか悪いのかは別にして、魚や米や味噌、そういう確かなものを食べていると、ここでこうやって存在しているんだなあって感じる。
この気持ち。
なんかわかるような気がしてしまう。
たしかな生活に癒されて、それでも旅立ちのときはやってくる。
田村さんと千尋の根本的なちがいに、千尋が気づくとき。
だってわたしの場所はここじゃないって気づくとき。
温かな場所を飛び出しても、千尋さんはまだやっていけるって思う。
丸ボーロって空腹は満たされないけど、やさしい甘味があって好きです。
やっぱりこの本、丸ボーロみたいです。
(ところでこの本、映画化されたとか。なんか見たいような見たくないような・・・。複雑です)
瀬尾まいこ 『天国はまだ遠く』 新潮文庫
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