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平松洋子 『忙しい日でも、お腹は空く。』

忙しい日でも、おなかは空く。 (文春文庫)忙しい日でも、おなかは空く。 (文春文庫)
(2012/02/10)
平松 洋子

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「やっぱり食べてよかったな。つくっておいてよかったな」
きっとそう思うはず。
時間も元気もなくなりそうなときは、先回りして手を打っておこう。
 (「けんちん汁 日本のミネストローネ」より)

忙しい日に「わずかな手間だけれども」の、塩トマト。「先手を打つ」冷やしなす。「きゅっと酸っぱい」レモンごはんから、「味覚を清める」ささみだしの卵スープえんどもあ。
はたまた、今日はうちにいたい、そんな日には「季節の音を聴く」氷、「秋の夜長にひとり」片口、「気軽なうつわ」のガラスのコップに、薬味がどっさり、なんてのもあり。

それでは自分の味をつくろうと、「調味料はひとつだけ」の鶏のから揚げ、「切りかた」を変えたたくあん、「年中惜しげなく」使う漆のうつわ、「安心を手に入れる」麻のキッチンタオル、等々。

それでなにかを変えたいとき、「ちぎらずにはいられない!」ちぎりかまぼこ、「一度でやみつき」必至の豆腐のオリーブオイルがけ、「本日はうつわです」、使わなくなった弁当箱・・・。

忙しくても、ときどき忘れてしまっても、それでもいつのまにかお腹が空く。
そんなとき、身に沁み込んだいとしい一皿と、お気に入りの道具があること。
そのささやかなよろこびを綴ったエッセイ集。

丹精込めてつくられましたというような、本なのに読後感は「いただきました」という感じ。
平松さんのしっかりとした文章を読むと、しっかり本読んだなという気になります。
「天国はまだ遠く」で、主人公が絞めたての鶏肉を口にして「こういうしっかりしたものを食べてると自分が生きているっていうことを良くも悪くも実感する」みたいなことを思ってたのを思い出しました。近いかも。

表紙からしてもうストライク。食べ物好きにはたまりません、というところ。
「梅干し番茶」「雑穀おにぎり」「春菊とプロシュートのサラダ」、「ジャム添えビスケット」「柚子茶」「お粥」、「ナッツとにんじんのサラダ」「白菜キムチ」、「きゅうりのライタ」、まだまだ続く、食べ物レシピづくし。贅沢だし、それでいて単なるレシピ集にならない、なんとも「こっくりとした」味わいの文章。


お粥のおいしさは、食べたあとによくわかる。からだのまんなかに、ぽっと静かな灯りが灯ったようなおだやかさ。なのに、たっぷりとした満足感がある。それは、心沸き立つにぎやかなおいしさではない。しだいにゆるやかに満ちていく充足のよろこびだ。 (「お粥 じつはとても贅沢」より) 

味を伝えるというのともちがう、それを食べたり、使ってものをいただくことそのものを伝えるような、丹精、繊細で、ゆるやかなのに芯のとおった文章ならび。

迫ってくる味ではないのだ。丹念に自分で探し当てるあえかな味。 (「(「そば湯 とろり、優しいポタージュ」より)

まさにそんな感じ。
自分の身の回りにあって、今の自分をかたちづくるもの、それをたすけてくれるもの。

好きな音楽。読みたかった本。書きたかった便り。グラスをつたい降りる蒸気のひとすじを眺めながら、自分ひとりの充足がたっぷりとここにある。 (「ヴァン・ショー 深夜におとなのぬくもり」より)

立ち止まりにくい毎日の中、少しよゆうができたときに立ち止めるように、ひとりの充足のもとを、ひとつだけでも見失わないように。
そんな心持を、料理と道具、そして日々の心持をつづって伝えてくれる平松さんの文章は、やっぱりどうして、いいようもなく、すごいと思う。

平松洋子 『忙しい日でも、お腹は空く。』 文春文庫 
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津村記久子 『君は永遠にそいつらより若い』

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)
(2009/05/11)
津村 記久子

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「問題がないのは悪いことじゃないけど、寂しいことなのかもしれない。わたしにはそれが普通だけど。このまま問題を抱え込んでも、わたしを助けてくれる人はいないと思う」

「わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい」
地元の公務員として就職も決まり、単位もとった。残りの大学生活を持て余すホリガイ。
バイトと学校と下宿と、友人や、友人とも知れない者や後輩の間をうろつくホリガイは、ぐだぐだながらもそれなりに楽しめる生活を送ってはいる。
しかしふとした拍子に、その日常の裏に潜む「暴力」を「哀しみ」が顔をのぞかせる・・・。
なにかを言えるようで言えない、吐きたくもない言葉を吐いてとまらなくて、酒だの大根サラダなどを話し相手にひっかけられる。腹いせに、そいつの彼女で自慰しようとして、げんなりして止める、などと無為の繰り返し。
そんなホリガイが、日常の隙間から顔を見せた「暴力」と「哀しみ」に遭遇したとき・・・。

読み始めて、あまりにぐだぐだ、だらだらした口調で続く語りがどこに行くかわからず、「なんだなんだ?」と思っていたら、ずんずんと殴られるように引き込まれ、最後は嘆息しつつ読了。

22歳「女の童貞」ホリガイのまわりにあふれるもの。
日常に潜む暴力。虐待、誘拐、自殺、リストカット、自殺未遂、傷跡、レイプ・・・。
「人生でいちばん負けたーって思った」のは「小学三年の一学期の終業式の朝に、男子に二人がかりで殴られたこと」というホリガイ。
たまたまテレビで見た行方不明の男の子のこと(実在の、未解決事件)を知ってから、「あまりにもつたなく、衝動的に」、「妄想じみて」いたけれど児童福祉の仕事を目指した。

ふと顔を出す「暴力」の味の一端を知るホリガイは、どんなかたちであれ、それらに出遭ってしまった者を、というよりそういった者がいることを、どうしても無視できない。
そうして、まるで太陽を直視し続けるように見てしまうのに、二重三重と気をまわして吐いた言葉はなにひとつといっていいほど身を結ばず、へらへらと薄っぺらな「白痴」のような言葉になりさがる。
「笑うようなことではないのに、笑わずには言葉を続けることができない」ようなことであっても、けっきょくは自分も「顔を歪めて笑うしかない」し、わからないことを親身に聞いてるふりして、けっきょくわからないことも、多々ある。そうして必ず、手痛いしっぺ返しをくらって思う。

わたしはやっぱり適当なことを言ってしまっていた。くよくよするよりそのほうが生きやすいじゃないか、いろいろな経験ができるからいいじゃないか、長所なんだから活かさないと、などと紋切り型の言葉を並べても、少しも響かないであろうことはわかった。魂と肉体の組み合わせは無数にあり、その相性が良くないことに悩むことのなにを責められるというんだろう。両者の間の軋みを感じることができるのは、当事者だけなのだ。

手を伸ばすのか、伸ばさないのか。伸ばしたのに、何もしないでとりあえず顔をゆがめるのか。
そんな言葉や態度を併せ持つホリガイに寛容でいられるような者は世間にはたくさんいるのだろうけど、ホリガイのまわりにはいない。

おまえがそんなふうにのんべんだらりと自足してられるのは、おまえが他者を知らないからだ。
この白痴め。緩々の人生をもてあまして人助けを思いついたか。おまえでは無理だよ。


とか、

たしかにかわいそうな話ではあるけど、あんたがおかしくなるようなことはないだろう

といった、憎々しい言葉や、他意のない呆れ顔が、そんなホリガイの前に幾度となく現れる。
それでも、ホリガイはそれまでのホリガイでいることをやめない。
だれかが遭遇する暴力の、その場所にいることができなくても。自分のささやかな幸せじみたもの、バイト先の主任の「ありえないほどデカいケツ」が、手に入れたかったのに遠くにいってしまっても、泥まみれになって自分でも意味も分からず探しているものが、探し当てたとて、だれかが傷ついた過去には何の太刀打ちもできないと知っていても。

「あんたはいい子だから大丈夫。わたしみたいに計算高さが高じて手も足も出なくなったのとは違う」

彼にしかわからない悩みに苦しむ後輩に、ホリガイがかけた言葉。
それはちがうだろと、後輩と同じ言葉を返したかった。
そもそもホリガイ、計算しようともしない、「あんたがおかしくなるようなことでないだろう」とか、無責任に大丈夫なんて何百回でも言える心持は、日常の暴力に立ち向かうことを、哀しみを看ることを止めた口からはあっさりと出てくるものだからね、と。

ひとはひとを知ることはできないし、もしかしたら本当にすべて助けてくれるひとも自分もその瞬間も、いないもので、ないものなのかもしれない。
ただでさえ「他者」。まして、理不尽としても言い尽くせない、「暴力」や「哀しみ」の前にあっては。
けれどホリガイは、そこから完全撤退することなく、だれに頼まれたわけでもない傷にまみれて、そんな自分をときに自傷のように自嘲し、ときに他者に蔑まれ、憎まれながらも、ずっと抗っている。
結果のない抵抗と、わかりきっていても。

わたしは、イノギさんが十年ほど前にここでなくした自転車の鍵を探していた。イノギさんがわたしに探してくれとたのんだわけではなかった。探し当てたからといってどうなるというものでもなかった。今それを見つけるのを望んでいるのは、世界でわたし一人であると言ってもいいかもしれない。でもわたしにはそうすることが必要だった。彼女の前に立つためには。

冒頭のワンシーンより引用。

わかることも助けることも助かることもないけれど、そう思ってしまったからには、せめて前に立つことをあきらめない。
ホリガイがあるひとに心の中で語りかけたこの本のタイトルを、その意味を、そうとしかできない絶望とほんのわずかな救い、その両方を端折ることなく直視できないと、今よりずっとこの目はくもって、このまま目玉の屍になってしまう気がした。

津村記久子 『君は永遠にそいつらより若い』 ちくま文庫
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鴻巣友季子 『孕むことば』

孕むことば (中公文庫)孕むことば (中公文庫)
(2012/05/23)
鴻巣 友季子

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「前に出されたエッセイ集で、『嵐が丘』の新訳を引き受けることで、自分の子どもを持つのはあきらめようとお思った、というくだりが出てきますよね。もうそこからして、文学と子どもはクロスしていたじゃないですか(中略)」
「そう言われてみると、妊娠子育ての世界にはおかしなことばや言い回しがたくさんあるんですよ、知ってます?」
・・・・・・などと話しているうちに、ふっと、本当にふっと湧いてくるというのはああいう感じをいうのだろうと思うが、わたしの口から、
「タイトルは『孕むことば』というのはどうですか」ということばが零れでた。
 (『孕むことば』より)

37歳。夢見ていた『嵐が丘』という大仕事を引き受けたが、それは同時に「子どもをあきらめる覚悟」をしなければ、ということでもあった。
ところが、子どもをあきらめる覚悟をした後「ひょっこり」した著者は、一人娘を授かる。
妊娠・出産・育児の現場で出会う、これまでに口にしたことも聞いたこともないことばたち。
そして、まだ言葉を獲得していない幼い娘の口から零れる、いとしく不思議なことばたち。
翻訳を生業とする著者が、それらのことばをひとつひとつ丁寧に掬い、数々の文学や論考と絡め、深い考察へと紡ぐ。

ことばというものを見渡して考えてみると、こんなに深くておもしろいのかー・・・そんな世界を見せてくれた著者に敬服です。
幼い娘が発する、できたてのことば、ことばにならないことばの裏側や大人には見えないお友達「かぶさん」のこと、「ヒンカイ」「カンボ」など、通常使われない、けれどその現場では何よりもその現状を言い得ていることば、などをとおしてみる、知り得なかった世界の別面。

特に、カメルーンのフルべ族の語彙にある「暗い夜の寂しさをまぎらす」という意味(!)の特別な言葉「イェーーウトゥゴ」をとおして、娘が寝る前にベッドの中で何曲も歌う不思議をとく、「闇をまぎらす -イェーーウトゥゴ-」、自分が生まれていないとき、まだお腹にもいなかったときと聞いて泣き出す娘の思いに気づく「ふたつの孤独」等、まさにつぶぞろい。

他にも、有名な子ども向けアニメの主題歌の内容を、自分の好きなもの、夢を持つことを美徳とする風潮から考察する「かぶさんが来る」、ホームビデオが映し出す、撮影者不在の光景について思いを巡らす「家族マイナス1の光景」、男性保育士がいることについて男女それぞれの親が感じる思いの複雑さをめぐる「女の視線、男の目線」等々。
考察のテーマは幅広く、そのどれもが上質で、そして鋭く、けれど何かそれまで知らない、見えなかったものをみせてもらえたようで、それがとても心地よい。
もともと考えることは好きなのですが、それにしてもこの視点、もっと追いかけていきたいっ!と直感的に思いました。

極めつけに、母と娘の関係をフロイトのエディプスの視点とまたちがった、妊娠のメカニズム、免疫学の観点からも考察した「母と子は敵同士」から、特に惹きつけられた箇所を、少し長くなりますが、引用。

「赤ちゃんは自分の命より大事と言うけれど、自分のなかに生まれた未知の生命は、半分は自分の遺伝子、しかし半分は父親(他人)の遺伝子からできているから、母胎は初めこれを「異物」として感じ、拒絶反応を起こすのだという。(中略)
子どもはいつか「親殺し」という精神的なイニシエーションを通過する。しかし母親が子どもに「殺される」のは、フロイト的な観念の「父親殺し」とはまた違った意味でなのだと思う。もっと生身といったらいいか。
子どもにとって、自分の命を一時期あずかっていた母親の存在の優位は、決定的であり圧倒的だ。あまりに圧倒的であるので、どういう形にしろ乗り越えてしまわなければ、生物として存在が危ういままになってしまうかもしれない。
言い換えれば、たがいの生存をかけた戦いの末に、母親の多くは子どもをほとんど無条件に愛するようになるが、子どものほうは当初「殺されかけた仕返し」に、母親を人生のどこかで殺して成長していくことになる。そうでなければ、生物の関係としてきっと健全でないのだ。
 (「母と子は敵同士」より)

無条件に~、のくだりは別として。
こっから仕事丸出しですが、精神分析家のメラニー・クラインが、乳児には乳房を引き裂き、毒を盛りたいという、いわゆる「死の本能」から生じる攻撃性が備わっているとしたことを思い起こさせる話で、精神分析の中でも特にクライン派の精神分析が好きな小津は、もう興奮状態で、先輩にメールしてしまったほどでした(夜中の議論に付き合う先輩も先輩ですが)。
理屈っぽいっていえばそうですが、でもあながち的外れでもない気がします。
「他人」であり「親子」であることを考えてみるとどうしても。

全般的に、エッセイ集と呼ぶにはややお勉強する部分が多いかもです。
それにしたって、ここまで引き込まれて、ところどころ娘さんのことばにクスッと笑って、さらにまたその深みにはまったりもできるこの体験、
なんにしたって最上級。素敵すぎてなんか感動しました。

最後に、タイトルにまつわる部分を少し。

英語で「妊娠した状態」をpregnantという。「プレグナントなことば」というと、いろいろな意味合いを孕んだことば、という意味になる。Conseptionと言ったら「着想」であり、「受胎」だ。言葉と懐胎は近しい関係にあるらしい。女も孕む。ことばも孕む。 (「『嵐が丘』と結婚」より)

人を選びそうな文章ですが、思い起こせば、この文章を書くひとの訳だったからこそ、読めなかった『嵐が丘』を、初めて読みきることができたんじゃないかなんて、
せんないことを、大学時代を思い返しながらふと思ったりしたのでした。

それにしても。
いま8才という娘さん、いったいどんな女性になるのでしょうか。

鴻巣友季子 『孕むことば』 中公文庫
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華恵 『本を読むわたし My Book Report』

本を読むわたし: My Book Report (ちくま文庫)本を読むわたし: My Book Report (ちくま文庫)
(2011/09/07)
華恵

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時間が経てば経つほど、好きになる本。これからも、大切な本。

4歳のあの日から、アメリカで会った絵本たち。日本に来て、この14歳までに出会った本たち。
hanae*改め、「いつも本があった」華恵の、大切な本たちへの想い、お届けします。

活きがいいというか、瑞々しいというか。
15歳とは思えないような表現力、文章力でいて、15歳しか書けない一文一瞬を届けてくれる1冊。
それこそ、会話してるみたいに読める。もっと聞かせてと、素直に思える本。

「I like Me!」「Deputy Dan and the Bank Robbers」「Goodnight Moon」・・・等々の、アメリカの古い絵本から、「てぶくろを買いに」「はせがわくんきらいや」といった日本の絵本、そして「小さき者へ」「ココナッツ」といった小説まで・・・。

離婚したウォルター(お父さん)、大好きなモトイ(兄)、ちがう場所にいるけれど大好きな、グランマ(グランドマザー)、グランパ、不意に近くなれた女の子のともだち、いつのまにか遠くなっている男の子のともだち。

読んだ本1冊1冊に、どれも忘れられない、人との思い出が詰まっている。それはまるで、明るい色から暗い色までも内包した、自分だけの秘密の小箱。
4年生のとき、1年生に絵本の読み聞かせをした場面を少し引用。
華恵さんが選んだ本は、「はせがわくんきらいや」で、読みながら思い返していたのは、クラスのだれとも仲が良くなく、避けられていて、けれどある日、偶然普段とちがうところを見てしまった「さっちゃん」のこと。

今、目の前にいる一年生に、あの時のさっちゃんや友達やわたし自身が重なる。
そうだ。わたしがこのくらいの時、この本に出会ったんだ。
さっちゃんのマネをして、ひとりで自転車に乗って図書館に行った時、わたしはこの本に出会った。

一年生は、わたしのヘタクソな関西弁と、本の絵の迫力とに、ゲラゲラ笑っている。
ところが、三ページをめくったとたん、一番前の女の子の表情がサッと変わった。
めちゃくちゃな絵に矢印で「はせがわくん」と書いてある。
短いクレヨンで書いたようなへたくそな字がぎっしり並んでいる。最初のことばは、
「ぼくは、はせがわくんが、きらいです」
目の前の女の子は、本を食い入るようにじっと見ている。
気づいたら、シーンと静まりかえり、みんなの視線はわたしが持っている本に集中している。
次のページをめくろうとしたとき、わたしは初めて自分の手に汗をかいていたことに気がついた。
 (『はせがわくんきらいや』より)

『言霊』という言葉を初めてしったのはいつだったか。
直接言霊という言葉は使われていないものの、4年生にして、華恵さんは言葉の力を体感し、伝えるまでにそれを自分に息づかせていたんだと、思えて好きな場面。

とはいえ、本をベースに語られる、思い起こされることたちは、ときにほろ苦くて、ときにまだ呑み込めない苦味をにじませる。
たとえば、アメリカで大好きになった『I like Me!』の主人公、ピギーちゃん。
ピギーちゃんを通してみていた、自分自身を見る目。けれど大好きだった「元気で自信たっぷりのわたし」は日本に来て、「うるさくて生意気なわたし」に変わってしまい、「自信」はバラバラと崩れた。

みんなと一緒。みんなと同じ。周りから浮いてるのは、不安だ。
「わたし、わたし」と自分のことばかり言っているのは、聞いていてもウザい。そう思うようになった。
それでもやっぱり、こうして、あの頃の自分が懐かしくなったり、うらやましくなったりするのは、自信のない自分があまり好きじゃないからかもしれない。
失くしたものに対する愛着なのだろう。わたしを元気づけてくれるのは、あの頃のわたしだから。

気持ちが落ち込んだら、ピギーちゃんを思い出す。しばらくは、本を机の前に立てておこう。
 (『I like Me!』より)

本が好きで、本の世界はしばしば、自分とともにいてくれて、どこにいても、それがきっちり日常に根付いて息づいてるひとの想いは、それ自体がひとつの物語のよう。
こうしてだれかの本を読んだだれかが、その本や言葉にそのひとだけの、清濁併せた想いを宿し、それをまた他のひとに伝えていく。華恵さんが15歳にして見せてくれたのは、そんな夢のある魔法。

雨の日にトートバッグに入れていたせいで表紙がしけって曲がってしまったけれど、いっとう好きな本として、
この本は小津の机の上に置いてあります。
隣には、これまたお気に入りの、殺人熊のグルーミー(ピンク・ブラック両方)のぬいぐるみという、変なラインナップ?ですが。

華恵 『本を読むわたし My Book Report』 ちくま文庫
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ヤマシタトモコ 『ドントクライ、ガール』

ドントクライ、ガール (ゼロコミックス)ドントクライ、ガール (ゼロコミックス)
(2010/07/09)
ヤマシタ トモコ

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ライフ・ゴーズ・オン。がんばります。

表題作、ドントクライ、ガールと読み切り、「3322」収録。
なんていうか、こんなに不意打ちでツボに入った体験は初めてです・・・。
なんだこの落差。。大馬鹿&シリアスの超二刀流。
勤務の前日に読み始めたのが運のつき。あまりにツボって読み返しすぎて、大幅に睡眠時間削られました。(4時起きなのに)

ドントクライ、ガール・・・
おバカな両親のせいで、その親の知人宅に居候するはめになった女子高生、たえ子。
居候を快諾し、出迎えてくれたのはイケメンで気のいい、だけど裸族の男・舛田。
舛田のハイパー天然裸族スタイル生活を前に、たえ子の17年間かけてつくりあげた価値観は玉砕しまくり。
それでも猛然と舛田スタイルにツッコミを入れまくるたえ子だったが、舛田の友人らしい友人・一見まともなパティシエの陣内(ただし、台詞にやたらモザイクがかかる)も参戦し、事態はますます混迷を極め・・・・・・。

究極のイケメン変態2人にキレのいいツッコミをぶちまけては玉砕する(2人ともものともしないため)たえ子を遠巻きに応援したくなること必至の超おバカ話。シリアスな話でもあるはずなんだけど、なんせ常に裸族の舛田がいるもんだから、どこがどうシリアスなのかわかんないという。。

おまえは本当に服を着ろ(中略) あとそっちのおまえは(中略) 何かの比喩表現のつもりか
あと本当に服を着ろ!!
ケンカのときはこっちこそ言いすぎてすいませんでした
今後ともよろしくですこん畜生!!


せめてパンツをはけ・・・


変態バカ2名に囲まれてとうとうプッツンしたたえ子の長い長いツッコミ爆弾も爆笑ものでしたが、さらにツッコミのしすぎで燃え尽き、オーバーヒートしたたえ子を涙ながらに抱きしめるために、脂汗流して服を着る舛田がもーツボでした。

涙ってどういうときに流れるものだっけ?
まあいいか。

がんばります。


終盤の(たぶん後ろに虚無が見える)たえ子の独白。
泣くに泣けないこの状況。あーもうがんばってください・・・(遠い目)としか言えない、これ。。
たえ子姐さん、お疲れ様です。

3322・・・

学校に行きたくないと言ったら、父親が困った顔で、「知り合いのところで暮らして」みることを提案してきた。
さぞやいやな熟女が出てくることだろうとうんざりしてた哉子(かなこ)の前に現れたのは、
「山中に隠居」している2人の若い女性、ドッグブリーダーの瑤子。会社を辞めて、瑤子をあてにして来た千代子。
「仲良いんだね」ふとそう言った哉子に千代子は言う。

・・・でも瑤子は人間よりも動物のほうが好きなんだから
・・・・・・ね


とっさに感じた感情にうまく名前をつけられない哉子。
そしてある出来事を境に、千代子は、そして瑤子も、哉子から離れていく。

どうして

どうして大人は秘密ばっかり


傷つけまいと秘密をつくるほど言葉がわからなくなり、いつか口にできない感じられない言葉は、絶えずこの身を蝕むように押さえつける。そんな中“秘密”に触れた哉子が、親元に戻る日がやってきた・・・。

残酷だなあと思った。けれどラスト、哉子はやっと自分の気持ちの名前を手に入れる。
気持ちを知ることは、秘密を知ることは、たぶんきっと、自分を知ること。

・・・それにしても、こんな毛色の正反対の2作を並べるってすごい度胸?だなーと思ったけど、ありだよなとも思います。

かたや変態2名、かたや触れられない奔放さ、厳しさをもつそれぞれの大人。
自分のペースでひたすらつきすすみ、自分の判断だけで隠し、ときに自分を傷つけて、そのうえそれ以上に他人を傷つけて見失ったりするけれど、ここにいる大人は、目の前で傷つくものを見捨てることはしないし、できない。

・・・やさしいのだろう、たぶん。

言い切れないけど、最後は、そんな気がしました。

特に舛田は、服さえ着れば・・・・・・。
(そんな舛田相手に、「イニシアチブとったどー」と内心つぶやけるまでになったたえ子姐さん、さすがでした。グッジョブすぎて、めちゃ笑いました)

ヤマシタトモコ 『ドントクライ、ガール』 リブレ出版 ゼロコミックス
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永嶋恵美 『転落』

転落 (講談社文庫)転落 (講談社文庫)
(2009/04/15)
永嶋 恵美

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正気ならばわかるはずだ。私に匿われるということが最終的に何を意味するか。

あえなく逃亡者、そしてホームレスになってしまい飢えた「僕」は、小学生の麻由から弁当を渡される。真意をはかりかねたまま「僕」は麻由から食料を受け取るものの、麻由はその交換条件として、自分の忌み嫌う同級生たちへの狡猾な「犯行」の実行を課すようになる。
ある理由から、食料のため、そしてそれ以上に麻由のために犯行に加担する「僕」。
しかし次第に麻由はこの「犯行」に飽きはじめ、「僕」を疎んじるようになり、とうとう「僕」を用無しとみなし、ある行動に出る。
結果居場所を完全になくした「僕」は、当人すらも「僕」を殺さないわけにはいかないであろう、ある人物のもとに身を寄せることにしたのだが・・・。

「逃亡者」であり、ホームレスである「僕」が、小学生の麻由に「れーちゃん」と呼ばれ、半ば残飯をちらつかされて使役され、犯行を重ねる導入部まではすらすら、そして先行きの見えない話に引き込まれて読めました。

そのうえで、匿われた「僕」の視点から匿う「私」に焦点は移るのですが、ここからがちょっと・・・。
内容、ちょっと続けます。

私も同罪だ、と思う。

なぜ「私」が「僕」を匿うのか?「私」の罪とは何か?「私」はいつまで「僕」を匿えるのか?
さまざまな疑問を抱えたまま、物語りは絶えず進行し、やがて酸欠のように行き詰っていく。

人間一人を隠匿するのがこれほどの困難を伴うものだったとは。死体を隠すよりは臭気がないだけ楽だろうと思っていたが、とんでもない計算違いだ。
しかし、もう引き返せないところまで来てしまった。


引き返せないままに続く息の詰まる「私」と「僕」の生活は、徐々に転落の一途をたどる。
転落してゆく先に「私」が見た、見せかけの善意に彩られた、嫉妬、悪意、打算、執念、保身、偽り。
止められない「転落」の行く末に、「私」がとった手段は・・・。

徐々に明らかになるのですが、大きなテーマがいくつかあり、そのどれもが、現実の人間の、まさに善意や正義にひた隠しにされた暗部に虐げられ、声すらもあげられない人々の「転落」を象徴するものであるように思いました。そういう意味で、度肝を抜かれる、というより、薄気味悪さと、それがいつ自分に降りかかるかというそら寒さを感じさせ、自分がそれらにあまりに無防備だということを思い知らされる心地でした。

ただ、物語としてやや消化不良だったり、意図がなかなか見えにくいようなところがいくつかあって、それこそ無防備に引き込まれて叩きのめされながら読めるのだけれど、読み終わると物語、ストーリー全体としての印象はぼやけていて(特にラストシーン。「殺人鬼フジコの衝動」を読んだときもなんとなく似たような心持がしましたが、それはこちらの読解力の問題もあるという感じでした)、味わった感覚だけが生々しく残っているばかり、という感じ。

「そうだわ。いい考えがある」

反面、この一言をかわしきる「正気」が、はたして自分にどれほどあるのだろうというこころもとなさを、いつもより多く味わう羽目になったことだけ確実でした。

永嶋恵美 『転落』 講談社文庫
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益田ミリ 『泣き虫チエ子さん(1)』(~続刊)

泣き虫チエ子さん 1 (愛蔵版コミックス)泣き虫チエ子さん 1 (愛蔵版コミックス)
(2011/12/20)
益田 ミリ

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「サクちゃんにとって幸せってなんだと思う?」
「キミがいて仕事があること」


最近マイブームな益田ミリさん本。
特にエッセイなんかは独特すぎて、その独特が好きなんですが、だれにでもすすめられるわけでもなく、正直わりと狭い範囲のひとにしかおすすめできないかもしれません。
その点、この漫画はすごくいい。これはぜひ読んで!と、押しつけて帰りたくなるくらいには(コラ)。

もうすぐ結婚11年の、泣き虫チエ子さんとおとぼけサクちゃん。
サクちゃんは家でくつの修理屋さんを、チエ子さんは会社で秘書をして働いている。
とても仲良しのふたりはたまにケンカもするけれど、お互いがいてくれることをとても大事にして暮らしている。
そんな毎日を、ご賞味あれ。

結婚生活もベテランなふたり。
ふたりで暮らしてきた11年に近い年月を経てきずかれた、ふたり用の過ごし方。これがすごくほんのりといい感じです。

たとえば、2人で行くスーパーで、カゴを押しながら「あっ 小松菜が安い」とか「油あげと炒めようよ」とか、「油あげ見に行く?」「うん」といった暮らし感満点の会話が好きです。
そしてチエ子さんは、この時間がとても好きなのだとか。それは、

チエ子さんは
サクちゃんがカートを押す
その後ろ姿が好きでした

カートのカゴの中には
ふたりの生活が入っています

大切なものを運んでいるって思うと
幸せな気持ちになるのでした


これ、すごくよくわかる気がします。
なんとなし、相方と会うと必ず途中でスーパー行ってしまうんですよね。なんかぽそぽそと心地いいから。

そういやむかしっからスーパー好きで、バイト先も小さいスーパーなのですが、始めたてのころ、カゴの中を流れる商品から、その家の生活って見えてくる気がして、すごく楽しかったのを覚えてます(5年たった今ではレジはスピード命&早打ちで非常勤のストレス解消、になってますが)。
そーいう感覚、相方といっしょにいるときに感じるのってのもまたいいもんじゃないですか。なんて。話逸れてんよツキミさん。

ただ、チエ子さんは泣き虫なんです。
どう泣き虫かというと、サクちゃんがいて幸せだから泣き虫なんです。

テレビをみて泣いて、本を読んで泣いて、サクちゃんがいないとだれが後ろのボタンをとめてくれるのかと思って泣いて、サクちゃんがひとりで老後をすごすことになったらご飯はどうするのかと泣いて、
ボロボロのサクちゃんの歯ブラシを見て、虫歯になって苦しむサクちゃんを想像して泣いて・・・。

泣きすぎだろっ!!とツッコミいれたくなりましたが、チエ子さんがこんなに泣くようになったのにも、それとなく理由というか、きっかけみたいなもの(かもしれないもの)もあったりして。

大人になったチエ子さんは
泣き虫になりました。

本を読んでシクシク泣いたって
テレビを見てうるっときて泣いたって

サクちゃんが当たり前みたいにしていてくれるからなのかもしれません


泣けない涙を流していたチエ子さんが泣き虫チエ子さんになれた。
サクちゃんの存在が、あーいいなあ・・・と思ってみたり。
(自分も不安定で、そういやうちの相方はそんときもいつもどーりだなー・・・なんて、思い返してみたり)

冒頭の2人の会話の続き。
サクちゃんの「幸せ」を聞いたチエ子さんの返答は、「へー」。
「へーってなんだよ」とサクちゃん。アハハハと笑うチエ子さん。

チエ子さんは胸がいっぱいになって
何も言えなかったのです

サクちゃんは幸せって何かを即答した

即答したのです

そしてその答えには美しさが宿っていました


ベタベタした装飾なんてない、ただありのままにかかれたこの場面が一番好きです。
心多くて泣き虫になりがちのチエ子さんと、そんなチエ子さんに「またか」となりつつ、いとしいサクちゃん。
下手な言葉も飾り付けも、もうなにもいらないでしょう。
それに、ただ、あったかいなあと思っただけなのに、このじんわり染みるあたたかさはいったいなんなのでしょう。

下手したら、こっちまでちがう泣き虫になりそうでした。
お気に入りをとおりこして、いっそ宝物にできそうなくらい好きな本でした。

益田ミリ 『泣き虫チエ子さん(1)』 集英社 愛蔵版コミックス
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本上まなみ 『ほんじょの鉛筆日和。』

ほんじょの鉛筆日和。 (新潮文庫 (ほ-14-2))ほんじょの鉛筆日和。 (新潮文庫 (ほ-14-2))
(2006/06)
本上 まなみ

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朝目が覚めて、原稿用紙がぎっしり埋まっていたらどんなにいいかなあと思うけど、いつもまっ白のまんまです。やれやれ。
でも書いたものが「へもっ!」「おもしろっ!」って褒められるのはもう、ものすごく好きだから、また、机に向かうのだ。
 (スキスキ原稿用紙より)

鉛筆、ちゃぶ台、原稿用紙、骨抜き、トリガラ、サバ、寄生虫、巣鴨、てぬぐい、茶わん蒸し etc・・・。
女優、本上まなみさんが「へもい」もの(ちょっとダサい、イケてない、たよりない雰囲気をかもしだしている、でも愛らしくにくめない様子、という意味の言葉。例えば、「ジーンズ柄の紙袋」「舌をしまいわすれているネコ」等)をはじめ、身の回りのものごと、できごと、自分のこと、それぞれのことを、原稿用紙に鉛筆でこりこり書き溜めたエッセイ集。

さっそく脱線しますが。
仕事やバイトのせいもありますが、大勢のひとの声を一度に聞くとつかれるので、人の多いところには出かけないし、飲み会も基本パス(3人以上は無理。。全員参加のだけ行きます・・・)。食べ物系の番組でもないとあんまりテレビもみない(おためしかっ!と黄金伝説とバレーくらい。男子今日どうなるのやらイラン戦・・・)小津。だからテレビに映るひとも知らないひとが多いし、AKBのメンバーもほぼ知りません。。そんな小津が唯一好きな女性芸能人のひとりが、たまにバラエティとかで見かける本上まなみさん。(あとのひとりは鳥居みゆき。男性だと佐々木蔵之介くらい。素朴なのと、エキセントリック、両方好きです)

・・・で。その本上まなみさんを知るきっかけになったのがこの1冊。
大学のときになんとなしに買って、なんとなくまだ持ってて、たまにぱらぱらめくってます。

トリガラの相手したこと、ありますか?

という一言ではじまる「トリガラと戦う」。
トリガラの細かいぶぶんをゆるめの文章で、けれどしっかり描写して、おいしいスープにしていただいたり。

一匹200円で手に入れたサバをさばいていたら、赤い内臓に見慣れない模様を発見したり。

さあ、ここからあなたは、心して読まなければいけません。

と、ご丁寧な前置きがあるはずで、ここから続くはサバの内臓に棲みついた大量の寄生虫、アニサキス!
「<目黒寄生虫館>が大好きで、『おはよう寄生虫さん』という本も持っている」さすがの本上さんも、どしぇー!と大慌てで退散、居間に避難。されどその後「何もなかったかのように」テレビを見て、ミカンの皮をむいて食べ、20分後に台所へ。最後はこんがりサバを焼くと、いう不思議な根性が、おもいっきりツボにはまったり。

おかんに買ってもらった「へもい」ちゃぶ台や、使わなくなったけど捨てられない財布のこと、ぐだぐだの私服でスーパーに買い物に行ったらオシャレな有名人のひとに会って動揺したこと、等。
並べてみてもなんのへんてつもないこもごも。
それらをほんとうに大事にみているのが、伝わることの、ほっこりしたここちよさ。

その一方、「お味噌汁のシジミを全く食べない人」に出会うとさみしくなったり、「アスパラの穂先ばかり食べてる人」がいたら目に涙をためて抗議したり、「鍋物で、エノキや春菊をいつまでも煮ている人」、たいていお話に夢中なので、「君、現実を見たまえ」と忠告したくなったり、エビを尻尾の中まで食べないひとを、「そういう人とはあんまり仲良くなれそうにない」と書いてみたり。
ほんわかした視線は、こんなしっかりした心根あってこそ、という一面もかいまみれたり。
(たしかに食べ物に集中しないひとはあんまし好きになれないというのもわかる。けど、エビの尻尾??それはどーだろか、さんまの黒いとこを残すのはどーなんだろ、とか少し思ったり)

とはいえ、ときどき「?」を浮かべながらもさくさく読める。その理由はたぶん、

だけどこの『食材図鑑』は違うの。ニホンカボチャは≪薄味の煮汁でじっくり煮るとおいしい≫って、そりゃおいしいだろうね!っていちいち返事したくなるんだもん。 (魅惑の図鑑より)

とでもいうような、思わずこころのなかで「そうそう!」とか、「そーなの??」とか、甘くもなく辛くもなく、気軽くぼーっとこたえてしまう気落ちになることなのだと思います。

私は本を読むのが大好きです。本屋に行くのも楽しいけれど、もっと楽しいのは気に入ったものを買った後の帰り道。そわそわわくわく、幸せの重みに我慢できず、途中何度も袋から出して広げたくなる。車とか電車とか喫茶店とかで落ち着きたくなるんだよね。どうしても寄り道してしまうのであります。 

喫茶店にはひとりで入れませんが(←こわがり)、仕事のついで、いつもいかないようなところの本屋に行ったときは、帰りわざーと各駅停車に乗ってかえったりしてしまう(座席なかったら降りて快速待ってます。意味なし・・・)小津は、ここぞとばかりうなづいてみたり。そんなひとときが、小さくてもわりと愉しいのでした。

本上まなみ 『ほんじょの鉛筆日和。』 新潮文庫
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風野潮 『森へようこそ』

森へようこそ (ピュアフル文庫)森へようこそ (ピュアフル文庫)
(2006/11)
風野 潮

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黙って聞いてるうちに、開いた口がふさがらなくなってきた。
うそ、植物に話しかけろってマジで言ってんの、この子?


何の相談もなしに半ば突然海外勤務を選んだ母と別れ、両親の離婚後、一度もあっていなかった樹木医の父と、双子の弟・瑞穂と暮らすことになった美森。
大阪郊外の「紅葉谷」と呼ばれる森の洋館での暮らしに都会育ちの美森はなじめず、おまけに色白でひ弱という自分と正反対、まるで女の子のような弟、瑞穂がどうにも気に入らない。
おまけに瑞穂は、「植物の声が聞こえる」という不思議な少年で、学校での「いじめ」を機に不登校になり、今は家で数多くの植物の声を聴き、弱った植物の世話をしている。
そんな瑞穂に美森は「バッカじゃないの」くってかかるものの、植物をまっすぐに愛し、植物の痛みをときに自らも味わうなど、植物と否応なく全身で生きる宿命をもった瑞穂の姿をそばでみるうちに・・・・・・。

涼やかな表紙に魅かれてブックオフで買い。
草木のみどりをじっと眺めてるとなんとなく目がすっきりするんですが、まさにそんな爽やかなすっきりさをもたらしてくれた、児童文学!ピュアフル!いいなあとあらためて思いました。
さて本編。

「植物の声が聞こえる」
そんな弟や、樹木医という父親、自分の意見も聞かず自分を置いて海外へ飛んだ母。そんなすべてを同一に並べ、どうしても頑なになる美森。
けれどその美森、転校先の学校で登校初日、瑞穂を「めちゃくちゃいじめて泣かした」こわもて男子・葉山を思わず一発KOしてしまったり、どんなに気に入らなくても弟を想う気持ちを持った女の子。
しかもその葉山も、ただ瑞穂をおもしろがっていじめたわけでもない。

「小川が悪いんとちゃう、おれが悪かったんや。おれが芦原のこといじめたって言うたから、こいつ、カッとしてつい手ぇ出してしもたんや。女にブッ飛ばされたのは悔しいけど、殴られても仕方ないと思う。おれかて、妹をいじめた奴が目の前におったら、速攻ブッ飛ばすと思うから」

これがきっかけとなりちょっとした友情?(というより戦友意識)が生まれる美森と葉山。
いっぽうの瑞穂も、学校には行けないものの、家で毎日たくさんの植物を、父親にも劣らない植物への真摯な思いをもって治療し、学校の傷ついた植物に対する治療法も提案する仕事ぶり。

最近では、まるでひとりごと言ってひとり笑いしてるような瑞穂と木の会話にも、気持ち悪がらずにつきあえるようになった、瑞穂が木から聞いたとおりに手当てして、たちまち具合が良くなるところを何度も見たからだろう。

よかったじゃんか、とこちらが思うも束の間。
けれどその一方、瑞穂の力には、それがために瑞穂本人を苦しめる性質ももつ。
美森も読み手もその苦しさ、瑞穂が抱えるもうひとつの苦しさを、まだ知らなかった。

そんな中、ある事件が起き、瑞穂は「声を聴く」力のために、苦しみまわることに。さらに、その事件を機に葉山の学校での立場が暗転し、学校にいる美森には、瑞穂をほんとうに追い込んだ「みんな」、そして物事を丸く収めることばかりに心を砕く「やさしい先生」の姿が見えてくる。

「あんたって、ほんとサイテー!」

激怒する美森。その一方で。

「でも、今サイテーなんやったら、これ以上サイテーになられへんから、ええんちゃうかなぁ」

と瑞穂。自分を守ってくれる姉、認めてくれる友達、そして将来父のような樹木医になるために、乗り越えた試練。ひ弱におどおどしていた瑞穂が、いつのまにか「どんだけポジティブ押し付けのこんこんちきでも言わないぞ!?」とつっこみたくなるような、おとぼけフォロー(でもおどおどした瑞穂にはけしてできないおとぼけフォロー)ができるようになってたり。

ラストは、すべて円満というわけでもなく、でもそこかしこで成長した、あるいは成長途中の、そしてけっきょく何も変わらないままの子どもたち、大人たち、そして美森、瑞穂を、森が丸ごとつつむような、深くやさしい余韻を残して終わる一冊。

すべての木を助けてやれることもできないし、すべてのひとが良くも悪くもならないけれど、
美森、瑞穂でいえば森の中、自分を見守ってくれるなにかの存在を感じながらなら、
そんななかでも少しくらい歩けることもあるよねきっとと、そんな想いで本を閉じました。

風野潮 『森へようこそ』 ピュアフル文庫
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中村明日美子 『ウツボラ(1)』(~2・完結)

ウツボラ(1) (F×COMICS) (F×comics)ウツボラ(1) (F×COMICS) (F×comics)
(2010/06/09)
中村 明日美子

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先生
彼女はいったい何者なんですか?


謎の転落死を遂げた身元不明の女性。彼女は身元を示す物を一切所持しておらず、唯一持っていた携帯には、ただ2人だけの連絡先。
そのうちの1人である作家の溝呂木は、そこで死んだ女性の携帯に残されたもうひとり、双子の妹であるという「三木桜」と遭う。2人の証言から、亡くなったのは「藤乃朱」と確認されいったんは話は収束する。

しかし、後日溝呂木に刑事からかかってきた電話によれば、「三木桜」の書いた連絡先、電話番号も自宅の住所もすべてデタラメで、「三木桜」という人物は存在しない。

そもそも不自然なんです
身元を示すものをいっさい持ってないなんて

死んだのは本当に「藤乃朱」なのか?
そもそも「藤乃朱」なんて人物は本当に存在するのか?
だとすると彼女の双子の妹と名乗る「三木桜」とは何者なのか?

連鎖的に全てが不確定で曖昧になってくる


「藤乃朱」との出遭いを回想する溝呂木は、「三木桜」から呼び出され、「藤乃朱」の部屋へと向かう。
そこには特筆すべきものどころか、何もない空っぽの空間が部屋としてひろがるばかり。

本当は朱なんて存在しないのかもしれない
全部私の夢か・・・空想の産物なのかもしれない

・・・いえ
そうですね それはありえない
私が・・・私がいるのが朱の存在証明 
私が朱を・・・


独白のようにつぶやく「三木桜」。彼女が席をたったそのとき、溝呂木が朱の部屋から探し出したのは、溝呂木の連載作である「ウツボラ」の第2回原稿・・・。

お捜しのものはみつかりましたか

動揺する溝呂木。射すくめられたように動けない溝呂木に、「三木桜」はさらに不可解な申し出を口にして・・・。

長いあらすじ紹介でした。2巻(最終巻)まで読みましたが、1回読んだくらいではわからない複雑な構造の物語です。

私は世界のさかいめがわからなくなった

飛び降りた女性。盗作をはたらいた作家。身元不明の双子の妹。疑いの目を向ける編集者。盗作を見抜いた同期の作家。事件の謎に翻弄される刑事たち。
ここまで登場人物はもちろん、読み手を惑わす物語って他にない。
1巻を読み終えて項を閉じれば、否応なく表紙の女性の真っ黒な瞳と視線が絡むし、絡めずにはいられない。

それがすべての始まりだった
少なくとも私の中では


「顔のない死体とひとつの小説をめぐる謎の物語」

謎が謎を呼びそれらは複雑怪奇に絡み合い、されど何一つ像を結んではくれない、この危うさ。
残酷描写のひとつもないのに、ひとの脆さ、危うさ、不可解さ、情の沼を見せつけられるこのそら恐ろしさ。
かかわったものすべてを絡めとっていくこの物語のはかりしれない始まりからうつくしい結末までを、見届けることができたことが、唯一救いでした。

中村明日美子 『ウツボラ(1)』 F×COMICS 太田出版
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ヤマシタトモコ 『BUTTER!! バター!!(1)』(~続刊)

BUTTER!!!(1) (アフタヌーンKC)BUTTER!!!(1) (アフタヌーンKC)
(2010/07/23)
ヤマシタ トモコ

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「大丈夫 支えてるから」
「ほら 行け!!」


運動センスゼロなのに、今度は社交ダンス漫画です。
前に読んだ『HER』がすごく好きだったのと、今更だけど自分はヤマシタさんの絵が好きみたいです。あとは中村明日美子さんとか。
というか最近仕事帰りに必ず本屋で散在するくせができてしまい(ぶちストレス・・・。向いてないのかも)、けがの功名でこんないい本にも会えたり、財布がますます軽くなったりしている小津です。

高校入学を果たし、念願の携帯と部活に入ることになった元気女子・夏。
さあいよいよ念願のダンス部へ!カッコいい男子とヒップホップダンスを踊り「マイメン」「シス」と呼び合える仲へ!
と、入部届を出し元気よく部活に初顔だしをすると、そこはダンスはダンスでも、全国でもほとんどないという社交ダンス部。
あっけにとられる夏だったが、副部長(実質部長の超クールビューティ)・二宮和美にエスコートされ初めての社交ダンスを体感し、想像以上にハードなその体験に、すっかり社交ダンスの虜に。
あらためて入部を決意した夏だったものの、同学年の入部生は個性派ぞろい、そして何より男女ペアの社交ダンス、その相方が、超ネクラのひねくれ男子で・・・・・・。

・・・「社交ダンス」というと優雅でいっけん退屈にも思えるかもしれませんが
本気でやれば十分ハードなスポーツです


と二宮副部長のいうとおり、ステップや回転のテクはもちろん、音を聞く、相手の呼吸をよむ、エスコート等、身身体と五感をすべてフル活用して臨むこの“スポーツ”は、ヒップホップダンス目当ての夏や、いっしょに入部した宝塚ファンのイケメン男子はもちろん、猫背矯正のために入ったメガネ女子のこころもいつの間にかぐっと掴んで離さない。二宮副部長とのダンス、早い回転の中で思わず「バターになっちゃいそうです!!」と叫んだ夏はもう、社交ダンスの思いもかけない魅力に出遭えたことがとにかくうれしいばかり。けれどそんな中。

興味ね・・・・・・

ひとり震え声で浮いているネクラ男子、端場(はば)。
もともと本意どころか別の男子からの嫌がらせで入部させられた端場は、動揺と不機嫌とイライラを部活内でもぶちまけて、社交ダンスにも周囲にも「・・・必至かよ。ウケる」等々、斜に構えて敵意まるだし。

みっともないね 端場くん

そんな端場の態度が許せない夏は、ペアだというのに早くも端場に対して臨戦態勢。
端場だって根っから社交ダンスをバカにしているわけではないのに、会話べたで強がりで、そしてたぶん怖がりで、斜めにかまえたまま体勢も立て直せず、嫌がらせの張本人の影にもおびえながら、ずるずると部活に出続けるだけの毎日。

端場くん ダンスって楽しいと思わない?

そんな端場をさらにどん底に叩き落とす事件まで起こるのですが、そこから脱する場面がめちゃめちゃ好きです。
嫌がらせを愉しめるようなやつの愉しさに、たとえそいつの目の前で冷や汗だらだらな状態でも、仲間と踊れる楽しさが負けるいわれはないですし。
実際に社交ダンスをされてる方にこの漫画がどう映るのかも気にかかりますが、ここはなんか、すごく背中押してもらえた気がする。夏にも、社交ダンスにも、端場くんにも。

いい具合にサッパリしてて、すんごく読みやすいし、そして何よりおもしろいです。
新しい物語に会うっていうのは、ほとんど新しい世界を知るきっかけとおんなじなんだなーって感じる逸品。
それと月並みですが、ほんとの仲間っていいですね。そんな大好きな仲間にさえも近づけない自分もいたりしますけど、それでも。
非常勤のほうの給料出たら、3・4巻を買いに行きます。

ヤマシタトモコ 『BUTTER!! バター!!(1)』 アフタヌーンKC
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江國香織 『落下する夕方』

落下する夕方 (角川文庫)落下する夕方 (角川文庫)
(1999/06)
江國 香織

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そのときの私にはなにもわかっていなかったのだ。
健吾がどんな場所にいるかについて。
華子がどんな場所にいるかについて。
あるいはまた、私自身がどんな場所にいるかについて。


梨香と8年間一緒だった健吾が家を出た。自分よりも好きな女ができたという健吾との別れに浸る間もなく梨香のもとに現れたのは、健吾が好きになった女、華子。
そんな華子が言うところの、「私たち3人にとって、完璧な解決策」として、健吾のいなくなった梨香の部屋に棲むことに。
華子の真意をはかりかねる梨香だったがだれよりも奔放なのにけして邪魔にならない、無口なのに、不思議な存在感を放つ華子の魅力に対峙するうち、この不可思議な日常に慣れきっていく。
愛することも憎むことも逃げることもできず、いつまでも続く3人の奇妙な日常。
その続きは・・・・・・。

これはきついなー・・・と、だれにともなく思いつつ読んでました。
なにがきついのか、だってここに転がってるのは、絶望的な愛情、恋情、そして場所。

恋人を奪われたはずの梨香は感情もうろんなときに訪れてきた華子と暮らしはじめ、健吾はそんな2人の関係に動揺しつつも華子に会いにいけることがうれしくて隠し切れない。
けれど華子は健吾のことをまったく好きになることは今もこれからもなく、それを知っている梨香は、だんだんと傷ついていく健吾を痛みを感じながら見続けるしかない。

「梨香は、平気なのか?」
理解できない、という顔で健吾が訊き、私は正直にうなずいた。
「結構気があうよ、私、華子と」
私たちのテーブルに、四度目の沈黙が訪れた。


それでも、華子の不思議な魅力は、いつしか2人を巻き込んでとりついていく。
とうの本人は、ふらりといなくなったり戻ってきたりしつつ、けしてこちらに気を遣わせない奔放さで梨香の部屋と外との間を行き来する。ときに本人が知らない、そしてきっと永遠に知ることもできないところで、たしかにだれかを傷つけながら。

「私にも信じているものはあるのよ」
カウンターのうしろ、メニューの張り紙あたりをみながら、華子は小さな声で言った。
「そのことを見せたかったの」
「・・・・・・・・・・・・」
私はなにも信じてない。いつだったか絶望的な真実さでそう言った華子のことを思いだした。愛情も友情も、人も自分も信じていない。幸福も不幸も信じていない。


勝手な合点ですが、だから少しわかったような気がしてしまったんです。
華子の奔放さ、奔放なのにけして楽しそうでもなく、魅力と隣り合わせの、ただそこにいるだけの存在感。
梨香だけでなく、自分自身にとっても華子はどこまでも他人で、けれどどこまでも他人ではいられないととっさに痛感して、悪い予感がして。

高校のときに読んだときは、なにがなんだかさっぱりわからないとしか思わなかったけれど。
今はすごく翻弄されるというか、気持ちの奥深くをゆすられた気がします。
江國さんらしい、すごい作品。ここまであっさりと、けれど絶望的に好きになれる華子のようなひとを、殊小説の世界では、他に知りません。

江國香織 『落下する夕方』 角川文庫
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碓井尻尾 『青春甘辛煮(1)』(~続刊)

青春甘辛煮 (バンブーコミックス)青春甘辛煮  ? (バンブーコミックス)
(2011/03/26)
碓井 尻尾

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また中学の時のように先ぱい達と剣道で青春の汗流すっスー(メラメラ)
うむ!!そのことなんだが

部員が俺たちしかいなくて剣道部は廃部寸前なのだ――――――!!

うわっちゃ―――――

のっけからテンション高い引用です。
とってもテンポのいい剣道4コマ漫画。たいていどんな時でも、気軽にさくっと読めます。
地味に長持ちするボールペンみたいな本です。さて、内容。

この春からくるぶし高校に入学した、生粋の剣道バカ女子、沖田。
先輩たちと一緒に剣道することを夢見て入学したものの、肝心の剣道部は、偶然校内から湧いた温泉のせいで温泉部となり、部員は5名、廃部寸前の状況。
それでもなんとかかんとか、というか流れで剣道部(かつ温泉部)は復活し、温泉好きだったり超ドSだったり筋肉バカだったり、剣道部なのに野球バカだったりの個性豊か(すぎる)顧問や先輩や友達と沖田の、トンチンカンな青春・高校編がスタート!!

碓井さん作品2作目ですが、この方の漫画はほんとにじみーにおもしろいなあと思います。

わざわざ朝4時半に朝練始めて、授業中眠くなるからと仮眠したり、部室の扉を開けるとなぜか馬がいたり、影の薄い副主将が、「呪いのナス畑」のナスの呪いにかかって顔面がナス顔になったり。
もうまさに「うわーバカだー!!」としかいいようがないような状況で、剣道バカかつ青春不思議女子の沖田はじめ、変な部員が総出で(しかも素で)ボケ&ツッコミをかましまくるというすごい状態。

さらには沖田の先輩2人の、「おバカな男子とツンデレ女子」という正統派?ラブコメまで始まり、ますます沖田が主人公のギャグ漫画なのか、先輩2人が主人公のラブコメなんだかもよくわからなくなり、というすごい展開。
おかげで終盤はだれが主人公だかわからなくなりました・・・。
どっちにしろ、それぞれちがう意味でおもしろいのでそんなに気にはならず、見ようによってはお得なんですが。

もういちいち驚かなくなってしまった
そんな自分が少し嫌だ


あまりに変な剣道部への入部をためらい、けっきょく遅れて入部した1年の斉藤くん(唯一常識人。かつ剣道で全国大会出場経験ありの正統派。けど竹刀を持つとドSの素質あり)が、部室前に突然広がった畑(ナスの呪い対策)を見て、あえて清々しい表情で一考。
愉快というより明るいカオス(なんじゃそりゃ)といった剣道部内で、生真面目に翻弄される斉藤くんの姿も、本人にはすみませんがおもしろかです。がんばれ斉藤くん。

1巻が出てからだいぶたつのにまだ2巻の気配もないのですが、『とりぱん』みたく地味に、そして長く続いてほしい漫画です。がんばれ!碓井先生!なんて、最後にテンション高めに書いてみたり。

碓井尻尾 『青春甘辛煮(1)』 竹書房 バンブーコミックス
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いけだたかし 『34歳無職さん(1)』(~続刊)

34歳無職さん 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)34歳無職さん 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
(2012/02/23)
いけだ たかし

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先月勤め先がなくなった

再就職先など気遣ってくれる口もないではなかったが
まあいろいろ思う所あって一年間何もせずにいようと決めた


そんな34歳無職の女性(一人暮らし)の、
特売の前の日に卵を買ってしまったり、ゴミだしを忘れたりボロ掃除機を買い替えようか悩んだり、そんなめちゃめちゃふつーの、きまじめにつづく毎日をつづる不思議本。

タイトルはじめて見たとき、とっさに「10年後の自分」を思い浮かべたのは、さあ何人。。
と、それは(こわいので)置いといて。

仕事がないとこれぐらいしか定期イベントがないというゴミだしすらも、寝坊で出しそびれたり、長い昼寝から覚めて体内時計は昼のまま、近所の人から夕刻に「こんばんは」とあいさつされたり。
合間合間に、「こうして真人間の資格を失っていくのか・・・」とプチ自虐が入ったり。
そんなことを考えた後、本屋さんで申し訳程度に社会参加(本購入)したり。

仕事をしていなくても
色々おっくうになる時はある


逆のきつさというか。
自分で決めた無職という立場で、ああでもなくこうでもなく、だからといってどうなりたいということもないままに、毎日地味に、けれどじつは壊れた掃除機は補強したり、100円ボールペンは最後の最後まで使い切ろうと奮闘したり、うまく特売の品を買う方法を考えたり、包丁を研いだりと随所きまじめに生活している無職さん。
なまじきまじめに生活されるので、無職と聞いて浮かんだ、自堕落だとか、焦りだとかのキーワードがぼやけて意味を結ばないというか、なんかどれもあるんだけど、どれもちがうというか。
じゃあ何もないの、というと、やっぱりそうでもない。

不安になったりしないの?

・・・んー

まぁ不安もなくはないけど・・・
それよりか

なんとなく世間に申し訳なくは思う


いっしょに外食した友人から聞かれて、ぽつり。
それでも選んだ1年間の無職を、それに伴う苦楽すべて引き受けて、きっちりと責任もって経験してる気がします。
変な言い方ですが、まじめに無職をするという意思を持つのも、けっこう大変なのかも。

んー
うまいっ


コンビニで逃したおでんを自宅で手作り。ついでにビールとあわせて至福の一杯。
なんてことない無職さんの日常のひきこもごも、じみたいろいろ。
思いもかけずちょっとのぞいてみたら、なぜかなんともいえない気持ちになりました。

いけだたかし 『34歳無職さん(1)』 MFコミックス (メディアファクトリー)
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益田ミリ 『47都道府県女ひとりで行ってみよう』

47都道府県女ひとりで行ってみよう (幻冬舎文庫)47都道府県女ひとりで行ってみよう (幻冬舎文庫)
(2011/04/12)
益田 ミリ

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ああ、旅ってこんなんでいいんだっけ・・・・・・。

・・・どうなんでしょう・・・としか言えないこの感じ。

旅好きかと言われればそんなことはない。
人とかかわるのは苦手だし、旅先で知らない人と知り合うなんてのはちょっと無理・・・。
歴史とかその土地に興味があるものがあるとか、そういうこともなく・・・。
美味しいものを食べるにしても、海産物が苦手で、名物とやらもほとんど食べれるかどうか・・・。

と、こんな様子でテンション低く繰り広げられる、なんとなく始まった?益田ミリさんの不思議(というか不可思議)な47都道府県ひとり旅の記録。1都道府県ごとに、旅先での出来事をつづった4コマ漫画つき。

ひとまず、益田さんの書く絵のとぼけたんだかなんだかわかんない、もやっとしてるようなほわんとしてるような不思議な絵はとても好きです。
で、肝心の本編はというと。好きなんだけど、すんごい独特。

・・・なんというか。

その土地が好きだとか、知らない土地を楽しみたいとか、ひととのふれあいとか美味しいものとか名物とか、観光とか、そういう目的意識や、積極的というか、旅が楽しいっ、っていう人が読むとすごくイライラするんじゃなかろうかと思います。。「じゃあ何しにきてんだよ?」と。肝心の益田ミリさんも、ひとり旅の理由についてわかるようなわからないような理由しかあげてないのでなおさら。
行く町も行き当たりばったりで、それだけでなく下調べも何もしないからどこに行っていいかもわからず、ガイドブック頼りに知らない「名所」に行けば閉まってて何もすることなし、仕方ないからうろうろ・・・。
そんな調子の超消極的ひとり旅。4県目にして「やめたい」とまで言ってるし。

でもまあ、私的には嫌いになれないというか、むしろなんかこのテンションの低さがちょうどいいというか。
ずーっと「やめたい」ままに延々と旅だけ続く、ようなことだったら嫌気しか残らないんでしょうが、なんかおもしろいことにけっきょく益田さんなりの超マイナーな旅の仕方ができあがってきて(ふれあわない、人目を気にしすぎない、ようにしたいけど気にする、名物に縛られない、夕飯は惣菜を買ってホテルかビジネスホテルで食べる等々)、本人なりにひとり旅をそこそこ楽しんだり、楽しめなかったりしているのが、なんかちょうどいいような。
さすがに「名物だから(食べないといけない)」というだけの理由(というか思い込み)で、食べられもしない海鮮丼とか牛タンを注文して、ハンカチにくるんで鞄の中へとか、ほとんど残して逃げるように店外へ、そしてそんな自分に落ち込む・・・というくだりがそこここで繰り返される前半は「オイオイ・・・さすがにそれは・・・」って感じでしたけど。
で、そんな旅でそういえばなにか収穫はあったりするの?といえば。

「旅」と聞くと、テレビのレポーターみたいに、地元の人とふれあわないとダメなんじゃないか、おいしいものを食べないといけないんじゃないかと最初の頃は気負っていたけれどもうどうでもよくなった。
地元の居酒屋で隣の席の人たちと仲良くしゃべったり、お酒をごちそうになって楽しかった、という誰かの旅話を聞いても、ああそうなんだ~と思うだけである。
横切るだけでも旅は旅であり、その土地の空気に触れたというのでもいいんじゃないかな、などと思う。
 (42県目 広島県にて)

というところかと。あとは、熊本のいきなり団子とか、仙台のずんだとか、ほんとにおいしいものがいくつか見つかったりだとか。
見る人が見れば47都道府県も行っておいてなんじゃこれ・・・とか思われるかもしれないけど、けど終盤の益田さんは、この超消極的な旅をそれこそ消極的に満喫しているようで、読み終えてみると、なんかわけわかんないけどおもしろかったなー・・・なんて思うんです。変なのかな。案外そうでもないと思うけど。これ、ありだなって。

脱線しますが、元気だとか明るいとか、そんなことになんだか苦手だなーって意識があって、できるだけ細々とちいさくぽつぽつ楽しめたらそれで十分だし、それ以上はちょっと疲れてしまいます・・・的な方は、なぜそうなるのかが謎のまま、なんかすごく癒されるんじゃなかろうかと思います。というかそれ、まるきし小津なんですが。

酷評されることも多いようですし、その理由もわからないでもないんですが、私はこれ読んで、ちょっとだけひとり旅、行ってみてもいいかなって気になりました。
たぶん行かないだろうし、行くとしてもずいぶん後の話なのでしょうが。
そういう不思議気分が味わえただけで、この本はなんとなくのお気に入りで、益田ミリさん本をちょこちょこ読みあさるきっかけとなりました。

益田ミリ 『47都道府県女ひとりで行ってみよう』 幻冬舎文庫

追記。
いきなり団子、スーパーで売ってたの買って食べてみたらすごく美味でした。
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小津りゆ

Author:小津りゆ
3年ぶりぐらいですが、ログイン。夢だった資格をとってそれなりの仕事始まったはいいものの、現実にどっしん追突し、車体ボロボロ、エンジンぷすんぷすん状態です(なにそれ)。仕事の本ばっかりで、めっきり小説を読む時間が減。もしかしたら引っ越しして続編するかもです。

※since 2008.2.17

※オリジナル物語サイト、始めました。『ことあら』(リンク欄からどうぞ)

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